若者の語彙力を憂う、かつて若者だった大人たち


そして最後に、若者の「国語力の低下」や「語彙力の低下」について。これも折に触れて言われていることですし、様々な記事が出ては反論が続出したりしています。

筆者が疑問なのが、若者の国語力の低下や語彙力の低下について言及された記事の多くが、数値に基づくものではなく主観的なものであるということ。傾向を語るのであれば、同じ指標ではかれるデータが必要ではないでしょうか。

例えば、体力テストなど、同じ条件で行われ続けているもので能力の低下を指摘することはできます。それは指標に基づく客観的事実だからです。数値に基づかなければ、主観やバイアスが入ってしまいます。

語彙力の低下の例でよく「やばい」、などの若者言葉が引き合いに出されますが、例えば「マブい」「ナウい」「おセンチ」などの若者言葉が昭和にも存在しました。

若者言葉は時代と共に移り変わるもの。自分が理解できない言葉を使っているとなんだか浅く軽い感じに見えてしまうものなのです。そして「最近の若者は~」という語り草もまた不変的なもの。そう言われた若者もいつしか中年になり、次の世代に同じことを言うのです。

 

また、国語力の低下により、自分の感情を言語化するのが苦手な若者が増えて危機だ! みたいなことも言われますが、自分の感情を言語化するのが苦手な人って、年代問わず一定数存在しますよね。上の年代は、自分の感情をすべからく言語化できていたのでしょうか?

極端な例を持ち出して、この世代の傾向はこうだ! と主語を大きく語るやり方をよく目にしますが、それって言ったもの勝ちですよね。

 

国語力を指摘するなら、統一テストの結果から「読解力」などの特定の項目で一定年数のデータを取り、全体の傾向について言及するべきではないでしょうか。

ホワイトすぎて会社を去る若者や、「風呂なし物件を好む若者」など架空のキャラクターが次々と供給されてうんざりしますが、鵜呑みにせず都度ツッコミを入れて、おかしな主張はちゃんと否定していきたいところです。


写真/Shutterstock
文/ヒオカ
構成/金澤英恵

 

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