「批判的もする友人」の声を無視する日本政府

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――本の中では「クリティカル・フレンド(批判してくれる友人)」という言葉が出てきますよね。例えば、日本政府に対しては「特別報告者(各国の人権問題を調査し、勧告する専門家)」がクリティカル・フレンドにあたると。このクリティカル・フレンドとは何かについてお聞きしたいです。

藤田 あなたのことをすごく思ってくれている友だちがいるとします。先輩とかでもいいですけどね。「ここは直した方がいいよ」とか、「そういうことはしない方がいいよ」って、その人のために、ちょっと耳の痛いことでも提言する人。英語では、そうした存在を「クリティカル・フレンド」といいます。もっというと、constructive criticism(建設的な批判)をしてくれる人のことです。例えば、本来はメディアも、政治家のためのクリティカル・フレンドなんです。

――本の中で克明に記されていますが、日本政府はクリティカル・フレンドである国連の特別報告者の勧告に耳を傾けるどころか、反抗し続けていますよね。日本という国をいい方向に向かわせるという目的は一緒のはずなんですけど、少しでも自分たちのやり方が批判されたり、意図するところと違うことを言われると、すぐに敵だとみなして徹底的に反抗する。恥ずかしさすら感じました。

藤田 日本政府の対応って、他の国と比べても特異なんです。人間に当てはめて考えると明らかで、クリティカル・フレンドといい関係を築けないのって、未熟だからなのではないでしょうか。先輩とか上司が助言してくれたとき、耳は痛いけど私のためを思って言ってくれてるんだなと思って真摯に取り組むのか。それとも、何言ってるんだ、私は悪くない、お前が言ってることおかしい! と言って逆ギレするか。どちらが人間として成熟しているのか、明らかじゃないですか。未熟な人というのは提言を受け入れるだけの度量がない。だから反発しちゃうんだと思うんですよね。国に当てはめてもそうかなという気がします。

 

「特権」と「人権」を取り違えてはいけない


――LGBT理解増進法案に関して、法案に慎重な立場の自民党・宮澤博行衆院議員が、「行き過ぎた人権の主張、もしくは性的マジョリティ(多数派)に対する人権侵害、これだけは阻止していかないといけないと思います」と発言したことが大きな波紋を呼びました。こういった発言の背後には、「マイノリティの人権を守ると、マジョリティの人権が守られなくなる」という感覚や、マジョリティの配慮によってマイノリティの人権が守られているかのような勘違いがあるように感じました。藤田さんはどう思われますか。

藤田 人権を侵害している側が、人権を侵害されたと主張している側のレトリックを取り入れて、今度は我々の人権が侵害されたと主張し出すということがあるんです。間違えちゃいけないのは、それは人権侵害ではなく、マジョリティは自分たちの「特権」とか「下駄」を剥奪されることが怖いんですよ。

特権とか、下駄とか、生まれたときから労なくして与えてもらっている特権があるじゃないですか。例えば、女性差別に基づいている男性の特権とかもそうです。元々ある不均衡を解消しようとしたときに、マジョリティがそれまで得てきた特権を奪われたくないがゆえに、被害者意識を発動させて「特権」を「人権」という言葉で主張する。全然中身が違うんです。そこを間違っちゃいけないんですよ。だから「人権ちゃうで、それは特権やで!」とズバッと指摘していかないといけません。