自分たちだけが取り残された、不安だらけの暗黒期


──2001年はM-1グランプリが始まった年ですよね。COWCOWさんも3年連続出場されますが、準決勝までいけるけど決勝には行けず、暗黒期が始まったとおっしゃっていましたね。

善し:そうですね。朝までネタ合わせしていたのも、暗黒期だったからというのもあります。

「私服がお洒落」と噂の善しさん。ペイズリー柄のネクタイがお似合いでした。

──でも、準決勝まで連続で行くというのも十分すごいことですよね。

善し:そうですね。でも、最初の中川家さんの優勝から見てもわかる通り、やっぱり決勝に出て、結果を残さないと次はないんです。だから準決勝に行ってちょっと話題になるなんてこともなかった。

 

多田健二さん(以下:多田):今は組数も多くて配信もあるので、なんやったら準準決勝行ったぐらいからすごいってなるし注目されるチャンスもあるかもしれません。でも僕らが出た当時は決勝に行かなかったら、何にもないです。

善し:本当に決勝でまた結果を残さないと何にもないっていう時代。準決勝止まりの3年間っていうのは「大丈夫かな」って思ってしまうんです。

──上京して、東京で先に活躍している芸人のすごさみたいなものも感じましたか?

善し:もちろんすごく感じました。みんな結果を残してましたし、スターダムに登っていく後輩とかも見てました。完全に自分たちだけが取り残された感がありましたね。大阪にいる時に新人賞を3つとって、満を持してのM-1出場だったんです。それなのに1回も決勝に行けずに出場資格が切れた時、本当にどうしていくんだろうって思いましたよ。でももう辞めるに辞められないし、大阪にも帰れない。東京でどうやって生きていくんだという感じでしたね。

終始ノリノリでポーズをとってくれたCOWCOWさん。決め顔が豊富でした。

──暗黒期だったというのは、精神的な部分でということですか?

善し:生活的にも、もちろん順風満帆でもないですよ。だから、精神的にも生活的にも暗黒期と言っていいんじゃないですか。暗黒期だからだんだん仕事も減っていきます。緩やかな下降線を描いていきますから。上京した当時は劇場にもたくさん出させていただいて、スケジュールが埋まってる状態だったんですよ。でも暗黒期に入った時、すっからかんになった時があったんです。なんじゃこりゃみたいな。1回の舞台の金額は分かるので、感覚でわかるじゃないですか、もう今月の収入これぐらいだなと。これはやばいぞみたいな。それを経験した時に本当にもうこれは駄目だと思いました。