テレビに出られなくても劇場では笑いをとる


──暗黒期は何年ぐらい続いたんですか?

多田:2003年から始まって、2007年ぐらいまでですね。

──かなり長かったんですね。どうやって抜け出したんでしょうか。

多田:今田耕司さんが『やりすぎコージー』(テレビ東京)に呼んでくださったんです。テレビには出てないけど、劇場で頑張っている芸人を紹介する「劇場番長」っていう企画があって、そこに僕らを含め3組ほど呼んでいただいたんです。それを見ていた『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)のプロデューサーの方が番組に呼んでくださって、「劇場番長」というキャッチフレーズで、定期的に出させてもらいました。そこから上向きになっていきました。相方がR-1に出場すると言い出して解散の危機を感じていたんですけど、結果的には相方がR-1に連続出場したのも僕にとってはいい刺激になりました。でも僕としては相方だけ4年連続で出場してるっていうのが、なんかちょっとコンビバランスとしてはよくないなと思っていました。やっと2012年に僕もR-1の決勝に行けて、そこで優勝することができて、コンビのバランスが整いました。そしたら「あたりまえ体操」を2012年にばあっと取り上げてもらって、そこからいろんな番組に呼んでいただいて、僕らの一番いい時代が来たんです。

 

善し:暗黒時代がきたのは、やっぱりM-1という目標がなくなったというのが大きかったんです。出られるのが当時はR-1しかなくて、なおかつやっぱりテレビに出るっていうのもなかなか難しい時代ではあったと思うんですよね。ネタ番組も今ほど定期的になかったですし、『エンタの神様』(日本テレビ)も結構なオーディションの回数を重ねていく形で、なかなか若手でもなくなった僕たちは難しくて。その中でもいろいろギャグを作ったり、ものまね番組のオーディションがあったのでものまねをやったり、『レッドカーペット』って1分ネタなんで、それに合わせて短いネタを作ったり、とにかくいろんなことをやるという時期でした。それが「あたりまえ体操」に繋がったのかなと思います。