厳しい現実に蓋をせず考えていく時代なのかもしれない


「暴力は男性のもの」と思いがちですが、女性もまた暴力の当事者になり得ることを、映画は鮮烈に描きます。そういう中で「異物」としての静子の存在は際立ちます。片田舎の農村で白いパラソルを差して歩く彼女に、村人たちは「朝鮮人じゃないか?」と囁きますが、静子はほとんど意に介しません。映画は彼女を通じて、集団に従うことこそが正義である「村社会」で、「異物」であることの意味を問うているようにも思えます。

田中:国とか村とかが決めたルールを従順に守り、「それこそが正しく生きることだ」と信じて真面目に生きてきた人たち、良い夫であり良い妻であった人たちが、なにかの拍子に「やってしまえ」という側に回ってしまう。「それは違う」と声を上げるのは、「村のルール」から外れた「異物」のような人たちだけで。福田村は、会社とか、家族とか、企業とか、組織とかと同じなんですよね。狭い世界だけのルールがあるとされる場所で、そのルールに従順に従ってしまう。ある種の密室であり、そういう中で事件が起こってしまうわけですが――考えてみると、今の日本という国自体にも、密室的な感じがあるのかもしれません。

 

そうした作品が予想を遥かに超える観客を集めていることに、制作に関わった誰もが驚いているそうです。「こんなに見てもらえるとは思わなかった」とは、森達也監督の弁。田中さんも驚きを隠しません。

田中:私自身、いろんな方から「見たよ」という連絡をもらいますし、映画のレビューを読んでも、みんなすごく熱く書かれていて、 世の中に対して思うところがある人がこんなにもいたんだなと。もしかしたら「本当のこと言ってくれよ! そうしたら前に進めるのに」という感じが、世の中にあるのかもしれません。何についてもいい面をどうにか探して「バンザイ」と肯定してしまうことで、隠されてきたこととかがたくさんあると思うんですよね。人間の自己防衛本能として「辛かったけど無駄じゃなかった」と意味があることのように思いたいのは理解できるし、厳しい現実を見つめることはネガティブなことのように言われがちですが、そんな単純なものではない気もするんです。やっぱり悲しいことは悲しいし、よくないことはよくない。そこに蓋をせず、時間がかかっても「あれはなんだったのか」をきちんと考えていく、そういうことが必要な時代になっているんじゃないかなと思います。

 
 
 

<INFORMATION>
映画『福田村事件』

1923年9月1日11時58分、関東大地震が発生した。そのわずか5日後の9月6日のこと。千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺された。行商団は、讃岐弁で話していたことで朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。逮捕されたのは自警団員8人。逮捕者は実刑になったものの、大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された…。これが100年の間、歴史の闇に葬られていた『福田村事件』だ。行き交う情報に惑わされ生存への不安や恐怖に煽られたとき、集団心理は加速し、群衆は暴走する。これは単なる過去の事件では終われない、今を生きる私たちの物語。

劇場公開日 2023年9月1日
©️「福田村事件」プロジェクト 2023


撮影/Minyoung Ahn(STUDIO DAUN)
取材・文/渥美志保
コーディネート/Shinhae Song(TANO International)
構成/坂口彩