おいしいものを作らないといけない! がプレッシャーになってしまう理由


長年に渡り骨太なドキュメンタリーを発信してきた『情熱大陸』に、冒頭からチェ・ゲバラがプリントされたエプロンを身につけて登場する土井善晴さん。ぶっ飛んだレシピを提案しても不思議ではない雰囲気ですが、実際に映像の中で作り始めたのは極めてシンプルな料理。野菜をたくさん使った味噌汁です。

土井善晴さん(以下、土井):ゲバラのエプロンは、以前NHKの「チョイ住み」という旅番組で共演した俳優の野村周平さんのプレゼントです。一緒にキューバに行ったんですけど、「キューバいうたらゲバラやん」(⁉︎)って感じです。生きる時代は違っても、僕も己の信念を突き通すリーダー像に憧れる部分があるし。家庭料理の世界で革命を起こしたい……そんな大それたかっこいいもんじゃないけれど。「ほんまはこういうことなんやで」いうのが、みんなが苦しまないで「料理する人生を実現する」のが、「一汁一菜」なんです。

 

「一汁一菜」とは、汁飯香(和食で大切な三つの食べ物)、ご飯を中心に味噌汁と漬物(簡単なおかず)で構成する和食のスタイル。味噌汁は具材に何を入れてもいいし(ピーマンやトマトもOK)、時間をかけて出汁をとらなくてもいい。とはいえ「日々の食事はこれで十分!」と言われても、初見の視聴者は素直に受け取れないかもしれません。祖母や母親から料理の基本は「一汁三菜」であると刷り込まれてきた人も多いはずだから。

土井:高度経済成長期の日本は専業主婦も多かったし、食べられなかった時代から、家庭料理を存分に作れるようになるだけで希望と豊かさを感じ、幸せになれたんだと思います。共働きが当たり前の今は、仕事から帰ってなにを作ろうか決めるのも、レシピを見ながら作るのも大変です。

いや、料理ってそんなもんじゃない。一度、複雑になった家庭料理を「初期化」しようということです。だいたい和食にメインディッシュって概念はないのです。なにも考えず、ご飯を炊いて、味噌汁を具だくさんにすればOK。具沢山の味噌汁がおかずの一品を兼ねるわけです。栄養バランスも問題ありませんし、毎日死ぬまで一汁一菜でいいのです。むしろ自然と食べすぎを防げるし、ダイエットになるし、健康になる。心も安定する。一汁一菜を基本にすることで必ずいいことがありますよ。手の込んだ料理が食べたくなったら、気持ちや時間に余裕があるときに作ればいいんです。そうすれば一汁一菜以上の料理は、すべて自分の意思で作るもの、つまり「楽しみ」になるのです。

 


テレビ朝日の『おかずのクッキング』やNHKの『きょうの料理』などの料理番組に多数出演する傍ら、土井さんは独自の講座を開いて家庭料理の本質を伝えてきました。コロナ禍の自粛生活で家庭料理のネタ切れに悩む人が続出する前から、料理にネガティブな感情を抱える人たちの存在を身近に感じていたそう。

土井:2015年ごろに「大人の食育」という勉強会を開いたのですが、参加者の方々が口々に「料理に自信がない」「料理したことがない」と言うんです。結婚を前にして、多くの女性は幸せな家庭を築くために料理を頑張らないといけないと思うんですね。そこに人間が料理する意味がある、と思っているのです。でもなにを作ればいいかわからない……と言うのです。切実な表情で本気で困っているのです。そういうプレッシャーを抱えてしまうのは、彼らの母親がしていたように、食卓におかずをいっぱい並べることが、料理だと思い込んでいるからです。

おかずを1品つくるとしても、和食の調理は極めてシンプルで、レシピにさえならないものが多いのです。日常では、素材と調理法を組み合わせ、野菜なら茹でるか炒めるか、魚や肉なら焼くか炒めるか、塩か醤油か味噌で食べればいい。素材を生かすとはそういうことで、余計な手数を増やすとまずくなる。「基本は味噌汁とご飯、でいい」と伝えたら、みんなの顔がパッと明るくなって。「あとは余裕のある時に一つ一つ料理を覚えていけばいい」って言ったら元気になりました。そんなことがあって、一汁一菜は今の日本に必要だと提案するようになりました。

味噌は発酵食品で、自然物そのものなんですね。味噌汁は誰が作ってもおいしくできるのです。人間の力でおいしく作ると言うのは西洋的な考えで、和食の考えではありません。同じ味噌汁は二度とできません。いつも違うものができていいのです。同じにならなくても、季節の変化、具材の変化、味噌の組み合わせで、ときどきに美味しいものが出来上がります。自然におまかせ、味噌におまかせでいいのです。薄いなと感じた人は、自分で味噌を溶いてもらってください。これで、余計なプレッシャーから開放されるのです。まあ、私の言う「具沢山の味」ぜひ作ってみてください。おいしく作ろうと思わなくても、とびきり美味しいものができますよ。味噌を信じればいいのです。