こんにちは、ミモレの川端です。
本のご紹介、少し間が空いてしまいました。
最近読んで感銘を受けた本はこちら。

『これからの教養 激変する世界を生き抜くための知の11講』

代官山蔦屋書店で開催された「菅付雅信連続トーク:これからのライフ」の11回のトークをまとめたもの。「NewsPicks」元編集長の佐々木紀彦さんや美術評論家の松井みどりさん、予防医療研究者の石川義樹さんなど、いま話を聞いてみたいなと思う人が次々と。モデレーターの菅付さんの突っ込み方がとても上手で、それぞれに割かれているページ数は多くないのに、とても話が濃く、わかりやすくまとまっています。

中でも印象に残ったのが、『マチネの終わりに』が15万部を超える大ヒットの小説家の平野啓一郎さんとの対話。平野さんがおっしゃっていて面白いなと思ったのが、

「個人」ではなく「分人」
“いろんな自分”がいるということの救い

という概念です。

平野さんの小説『決壊』の主人公は「自分は対人関係ごとに自分を使い分けている」ということに違和感を覚えているのですが、平野さんは「やっぱり人は“いろんな自分”を生きているからこそ精神のバランスを保てるのではないか」と気付き、分人主義に行き着いたと言うのです。

分人という考え方はすごくわかります。しっくりきました。

私自身も、社内の人と、お取引先の人でも印象が違うでしょうし、仕事関係の人と家族でも違うはず。仕事人格の中でも、例えば、ミモレのバタやんとして登場するときと、こうして川端として編集ブログを書くとき、そして個人のSNSはまたさらに別の人格……と、自覚的に分けているところはある気がします。

でも、そこにずっと違和感というか後ろめたさのようなものを感じていたんです。

平野さんのお話を読んで、“本当の自分”が1コじゃなきゃいけない、なんてことない、と気持ちが軽くなりました。

今ってすごくアイデンティティーや「自分らしさ」を追及させられる時代ですよね。私たちの思春期の頃も、“高校デビュー”とか“キャラ変”とかってからかわれる風土がありましたが、SNSがある今を生きる、若くて自意識が鋭敏な子はもっと生きづらいことでしょう……。

大人になってもそういった使い分けを後ろめたく思ったり、キャラ変をためらう気持ちは変わらないどころか、色濃くなる気が。

美術評論家の松井みどりさんは

芸術体験は、「自分らしさ」を見出すための方法ではなく、既知の「自分」の領域の外に踏み出して、自分の中の未知の部分に出会うきっかけを与えてくれるもの

とおっしゃってました。「自分らしさ」のために「これを持つともっと幸せになります」という外から与えられた価値観に画一化されてしまう皮肉。ほんとまさに。それに日々煽られています(汗)。 

松井みどりさんの『アート:“芸術”が終わった後の“アート” 』も名著です。担当編集が菅付雅信さん。

ミモレ大学のカリキュラムや人選を考える参考にと思い、こういった“教養”や“これからの社会変化”に関する本を何冊か読みました。

ミモレ大学のためというか、自分のためも……。
静かにコツコツ会社員としてやっていけばいいと思っていたのに、急に「働き方改革」とか「フリーランスと副業の時代」「本当にやりたいことを見つけろ」とか言われて、かなり戸惑っている自分の安心材料が見つかればという思いもありました。

アートも純文学も、すぐ効く処方箋や安心材料にはならないけれど、自分でかけてしまったプレッシャーから視点をずらしてくれるものではあるなあ、とあらためて思いました。

ではではまた〜。

今読んでいる本は、Instagramアカウント@batayomuで更新中です。