今年もやってしまった。
夫の誕生日を、今年も忘れていた。
結婚する前は、あんなに気合を入れて祝っていたのに、結婚をして、
1年目は、夕飯時におもむろにシャンパンを開ける夫に、「なんで今日開けるの?そういうのは、特別な日にしようよ!」と言って、「今日、僕の誕生日・・・」と言われて気がつく。
2年目は、自分の病気でそれどころではなく、
3年目の先日は、メイルに送られてくるfacebookの「今日は、白石和弘さんの誕生日です」で気がつく。



ここまでくると、忘れた、というよりは、もう気がないのである。
私は、昔から誕生日が嫌い。自分が祝われるのがあまり好きではないため、他人の誕生日も覚えない。
誕生日の何が嫌いかって、誕生日に合わせて、向けられた気持ちや用意されたプレゼントが、どこかとってつけたもののように感じてしまうのである。
小さい頃からこだわりが強かった私は、お誕生日でもらうプレゼントはだいたい気に入らなかった。
「じゃあ、欲しいものあげるから、何が欲しいか言って。」と言われても、すぐに欲しいものが思いつかないし、大人になってからは、自分が欲しいものは自分で買っている。
そんなわけで、誰かの誕生日にプレゼントを用意するのも苦手。なぜ苦手かというと、誕生日の数日前、早くて1週間前くらいに思い出してどこかに買いに行ったところで、中途半端なものになってしまうのが嫌なのである。

 


旅で知り合ったあるマダムが、「旅先のお土産は、『これをあの人にあげたい!』と思った時だけ買うの。そうしないと、結局余っちゃうもの」とおっしゃったのが強く記憶に残っていて、それ以来、旅先でのお土産買いの呪縛から解き放されて、無駄にお土産を買うことがなくなった。
この方針は、日頃、誰かにものをあげるときにも当てはまり、たまたま何かを見つけて、誰かの顔が浮かんだときだけ、それをその人にあげることにしている。その勘はほぼ当たっていて、喜ばれなかったことはない。
私は、それを「なんでもない日おめでとう!」作戦としている。
 

夫の誕生日を忘れる妻のいつもの言い訳は、「私は『なんでもない日おめでとう!』派だから・・・」。
さすがに内心では、家族の誕生日くらいはきちんとお祝いしないといけない、と反省している。

一方、夫は全く律儀な人で、毎年、何かしかのサプライズと共に、私にプレゼントをしてくれる。
40の大台に乗った、今年の誕生日には、エルメスのカレの贈り物。
私にとって、初めてのエルメス。「いつかは、エルメスの似合う女性になりたいな」と憧れつつ、決して自分で買うことのなかったもの。

家事だ、病気だ、犬の世話だ、とすっかり自分磨きを怠っていた今日この頃、色々な意味で曲がり角のこの歳に、「そろそろ気を引きしめてくださいよ!」と夫からの暗黙の戒めを受けたようで、ドキッとした。

○今日の柿色…エルメスのカレと、友人のご実家の庭からのお裾分けの柿
 
撮影/白石和弘