結婚する前、恵比寿の、とあるバーでバイトをしていた。そこはマスター1人で営むバーだけれど、日替わりで、女性がもう1人カウンターに入っていて、私は”木曜日の女”だった。
もともと、ベルギーから帰ってきてしばらく仕事もせず、ぶらぶらとしていた時に、友人に誘われ始めたバイトだったが、まかないとしていただくマスターの手料理がとても美味しく、それが楽しみで、本業の仕事が忙しくなってきてからも、辞められずに、気がつけば5年近くお世話になっていた。
そうしている内に、彼ができ、結婚することが決まり、そちらの方でも時間と気持ちが取られ、”木曜日の女”は”隔週の女”になり、”月1の女”になることもあった。
そしてある夜、バタバタと余裕のない様子でバイトへ行くと、マスターに「もう来週から来なくていいよ」と言われた。ショックと同時に、自分から見切りをつけられずに、マスターに言わせてしまったことを情けなく感じた。しばらく俯いて黙っていると、マスターは続けて「3足のわらじはダメだよ」とおっしゃった。「仕事と家庭の2足にしなさい」と。この言葉は、せわしなくこんがらがっていた私の中で、すとんと腑に落ちた。
もともとの意味とはずれるが、自己流の解釈をするならば、足が2本、手が2本であるように、両手両足が違う動きをしても何ら支障はない。ですが、3つ以上のことをすることは、人間の本来持つ能力を超えていて、全てのことを自分の力だけで、充分にやりこなすのはキャパオーバーなのではないか、と感じる。特に、私のような、完璧主義で、かつ、上手に人の手を借りることができないタイプはなおさらである。
今、私はまたもや、3足のわらじを前に、どのわらじにもしっかりと足を通せずにふらふらと彷徨っている。
「育児」という夢を持って取り組む不妊治療と、
今はお小遣い稼ぎ程度になってしまっている「仕事」と、
日々べったりとつきまとう、夫と犬との「生活」。
私の周りには、ご夫婦2人の生活を楽しみながら、ご自身の仕事で輝いていらっしゃる女性が沢山いる。その方々は、「生活」と「仕事」の2つを選んでいる。
一方、「生活」と「育児」を選んで、優しい表情で家庭を守る友人や親戚もいる。
私が尊敬し続ける、ある女性は、還暦を過ぎても現役で、バリバリと大きな仕事をこなしている。彼女は「仕事」のみを選んでいる。
私が驚きと賞賛の目を持って憧れてやまない、ある女性は、「育児」の終わった60歳を機にギャラリーを始め、80歳になった今、「次は何をしようかしら?って考えているの」と、置かれた立場に沿って、さらりとわらじを履き換えていく。そんな柔軟さを持った彼女は、もはや女性の“神”的存在である。
(そして、今の世の中の傾向は、人の手を上手に借りて「仕事」と「育児」と「生活」をこなす女性を推奨しているわけだが・・・)
選択しているものは違えど、イキイキとみえるどの女性たちにも共通していえることは、”自らきちんと選択している”ということ。その選択の裏には、想定外の出来事や運命のいたずらも、きっとあったはずである。しかし、その中で、自ら選択し、その選択に責任と覚悟を持つのである。
マスターのおっしゃった「2足のわらじ」は、今でも何かと、私の中で指針になっている。
”隔週の女”や”月1の女”のような、自分本位で中途半端なことにならないように、身の丈を知り、まず”自ら選択する”ことをいつも肝に命じている。
◯今日の「2足のわらじ」
義理の母から送られてきた、摘みたての菜の花。「水に漬けてシャキッとしてから使ってくださいね」という伝言に従い、たっぷりの冷たい水に漬けておくと、その様子はまるで花束のよう。しばらくお部屋に飾ろうかしら!?
「愛でて」、「食べられる」。菜の花の、2足のわらじ。
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