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先日、ある作家さんの展示を観に、あるギャラリーを訪ねた。小さな作品を一つ買いたい、と目的があった。

その作家さんは、真鍮板で作品を作る方で、もずく(スキッパーキ)を飼い始めた頃、真っ黒いもずくの首に、真鍮のメダルがキラキラ見えたら可愛いかも!と安易な考えから「もずく用のメダルを作ってほしい」とお願いしたことがあった。

作品制作に忙しい合間をぬって、仕立ててくださったそれは、もずくのようなフォルムをした「m」のイニシャルがキラリと光る、かっこいいものだった。

自慢のメダルを早く、お散歩仲間に披露したくて、とりあえず紐で首輪にくくりつけて歩かせていた。

そうして2週間も経たない、ある日の夜の散歩中、もうあと50mほどで家に着くという時点で、もずくの首にメダルがないことに気がついた。「出がけにはあったから、このお散歩中に落としたのだ!」と思い、1時間あまり歩いてきた道すがらをもう一度戻ることにした。電柱の脇や排水溝の中、植え込みの葉っぱの下も丹念に探したけれど、見つけることはできなかった。翌朝の明るい中で、もう一度回ってみたものの、やはり見つけることはできなかった。

それから数週間は、下ばかり見て散歩をした。交番にも届け出たが、「何を落とされましたか?」と聞かれて「犬の首輪につけるメダル……」と言ったところで、拾った人は、キーホルダーと思うかもしれないし、ペンダントと思うかもしれないし……と考えたら、見つかる期待薄ということも解っていた。一方で、おそらく、落としてすぐに、誰かが見つけて「綺麗だから」と拾っていったのではないか、とも感じていた。

その後、いつものお散歩仲間に、メダルを失くしてしまったことを話したら、「そうそう!頑丈な輪っかで付けないとすぐ失くなっちゃうのよね~!うちなんか、3つくらい失くしてるわ!」と軽く流されて、そんなことも知らない内に、”絶対に失くしてはいけないようなもの”を最初から身につけさせた親バカっぷりに、嫌気がさした。

それは、お茶を習い始めたばかりで高価なお茶碗を使うような、新米の板前が研ぎたての鋼の名刀を持つような、危なっかしさである。

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そして、メダルが失くなった喪失感よりも、それを作ってくださった作家さんに申し訳が立たない気持ちでいっぱいになった。さあそれをどうやって伝えるべきか。

メイルは失礼。

お手紙といっても、手紙でその事実を知らされたところで、作家さんはどうしようもない。

電話は、表情が見えないから伝えづらい。

失くした事実をすぐに伝えることでもないかもしれない、と思い、次会うタイミングに、きちんと謝ろう、と決めた。

それから2ヶ月ほど経って、会う機会があり、伝えると、作家さんは「全然気にしないで!また作るよ~」と、あっけらかんと言ってくださった。

今回の展示では、失くしたメダルに変わる、小さな作品を買い求めた。それはピアスとして作られたものだったので、「素穂さんがつけるのかしら?」と聞かれたので、もずくの首輪に付けたい旨と、そのワケを話した。すると、ギャラリーのオーナーは、こんな話をしてくださった。

その作家さんが初めて個展をなさったとき、まだ自信がなく「私の作品を、誰か拾ってくれるかな~」と不安がっていたという。だから、「もずくが落としたメダルは、誰かが拾っていったのだから、それでいいのよ!」と。

間違った可愛がり方をするバカ飼い主にはなるまい、と誓っていたが、犬に作家ものを身につけさせようなど、私たちはもはやれっきとした親バカであった。 

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◯今日の作家さん・・・秋野ちひろさんの”真鍮のオブジェ”