6月に『なぜ共働きも専業もしんどいのか~主婦がいないと回らない構造』という本を上梓します。その原稿をまとめている最終段階で体調を崩し、丸3日ほど、屍のように眠り続けていてしまったのですが、私がぶっ倒れている間、夫が家事育児のほぼすべてをやってくれてなんとか乗り越えられました。ちょうど土日だったのですが、子どもたちは父親が一日中構ってくれるので大喜び。「私いなくても家庭はまわるわ」と安心して寝ていることができました。

しかし免疫が低下していたのか、なんとか原稿もほぼ校了、という時にウイルス性胃腸炎にかかったようで、さらに私から息子にもうつってしまいました。これまで子どもの緊急時のお迎えは基本的に私だったのですが、私が倒れているところに朝、息子が学校で吐いたと連絡が入り、この時は夫が迎えに行ってくれました。あとから夫にもうつってしまい、家族には迷惑を掛けました。

……と、ここまで書いて、夫がやって「くれる」、という表現が気になった方もいらっしゃるかもしれません。『出産・子育てのナラティブ分析』という本では、日本人女性にインタビューをするとこの “テクレル表現”が頻出することを指摘しています。家事・育児の主体は女性であることの現れで、夫が何かした時に感謝を示す表現として(あるいは「~してくれない」とすれば不満にもなるのですが)使われる言葉です。

 

よく夫婦の間で、夫が子育てを「手伝おうか」と言って「手伝うって何⁈ あなたの子どもでもあるでしょ」と妻が怒る……という話がありますよね。私もそこは対等であるべきだと思っているので、普段は、夫が「育児を手伝ってくれる」という表現は使いません。

ただ、上の文章ではできるだけ「くれる」を使わないように、と思って書きましたが、それでも2か所ほどは他の表現よりもやはりテクレル表現が適切に思え、使っています。それはやはり普段は自分がやっていること、自分がやっていることだという意識があることと、自分が弱っている時で実際に助かったという感謝の気持ちがあるからで、「くれる」を使わないとどこか横柄な感じになってしまいそうだからです。

妻がテクレル表現を避け、夫の関与は当たり前だ!と感謝を示さないことによって対等な関係を目指す、というやり方もあると思います。しかしここで思うのは、それよりも世の夫たちに、妻のやる家事・育児に対してもっとテクレル表現を使ってもらったらどうかな、ということです。夫がやった時と同じように妻がやっているのも当たり前ではなく、お互いに「お皿洗ってくれて」「自分の留守中、子どもといてくれて」「お迎えに行ってくれて」ありがとう、と、感謝を示したらいいのでは。……まぁ、感謝しさえすればいいというわけではなく、病気していようがいまいが、いつももっと分担できたらとも思いますが。