酒井順子さんによる書き下ろし連載。今回のテーマは「母と娘」。思春期の頃のぶつかり合いとはまた違ってくる40代、50代の娘と母との関係の難しさとは……。
「配偶者を亡くした妻」となって変わる母と娘の関係
同世代の友人と会った時に必ず出る話題、それは「親」。互いの親の状態を確認し合うのは、時候の挨拶のようなものになっています。
50代前半という私の周囲において、二親とも生きているケース、そして二親とも他界しているケースは、それぞれ最大派閥ではありません。片親が他界して一人が生きているというケースが最も多いのであり、先に他界しているのはたいていの場合、父親なのでした。
夫に先立たれた妻は、昔で言うなら「未亡人」。しかし、「未だ亡くならない人」という言い方は、今時の“夫に先立たれた妻”達には当てはまりません。彼女達は、旅行や習い事など、「やっと一人で好きなことができる」とばかりに楽しんでいるのですから。
が、しかし。楽しく遊んでいるからといって彼女達が心身ともに自立しているかというと、そうではありません。遊んでばかりいるのも飽きがくるらしく、夫というつっかえ棒が無くなった時に彼女達が頼りにするのは、娘なのです。
一人になった母を持つ友人からよく言われるのは、
「いいなぁ、酒井は……」
ということです。私の両親は既に他界しており、親の重さから解放されていることを、彼女達は「いいなぁ」と言う。
その気持ちは、私にもよくわかります。我が母も、生前は「夫に先立たれた妻」だったのですが、当時を思い出せば、再びあの重みが蘇るかのよう。ああ、あの頃は母親からの電話やメールすら、憂鬱だったものだ……。
同世代の友人が集まれば、母親の愚痴は鉄板の話題となります。さんざ愚痴をこぼした後の、
「もうこれ以上、ママのことを嫌いになりたくないのに……」
という友人のつぶやきに、その場にいる全員、頚椎が痛くなるほどにうなずいたものでした。
そんな我々も、若い頃から母親を重く感じていたわけではありません。かつては仲良しだった母娘の関係も、「お父さん」の死によって、変化がもたらされるのです。
それは、母親にとっては「配偶者の死」。たとえさほど仲が良くない夫婦であっても、夫婦というユニットは、人が生きていく上での支えや、居場所になっています。片方の死によってユニットが消滅すると、残された片方が、浮遊してしまうのです。
特に我々の親は、夫は仕事、妻は家事、という性別役割分担をしっかり身につけてきた世代です。妻に先立たれた夫は、ご飯さえ炊けずに、おろおろ。夫に先立たれた妻の方が家事能力があるので生きやすいとはいえ、長年専業主婦だった女性が、突然「お世話する相手」をなくすと、「私の存在意義は?」となってしまいます。
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