自己憐憫のない凄み


岸本 ルシアの魅力について語ろうとすると、ボキャブラリーが尽きてしまうんです。「群像」(8月号)で川上未映子さんとルシアについて対談したのだけど、そのときも最後は「とにかくやばい」みたいな話になってしまって。

山崎 技巧とかセオリーという言葉はルシアにはあわなくて。

 

岸本 たとえば、本に収録した中に「ママ」という短篇があります。ルシアの母親は、自分も親に虐待を受けていて、娘たちに愛情をうまく示せないという虐待の連鎖を抱えていたんですね。アルコール依存症にもなってしまうし。そんな母親が亡くなってから、がん末期の妹に「ママの話をして」と言われて、母親の話をするんです。それも、自分もまだ生まれていない、母親も結婚前の頃の話を、まるで見てきたかのようにする。本当に感動的で涙がこぼれそうになるんだけど、最後の1行がひどいのよね。えっ、そう終わるのって。

山崎 セオリーや技巧ではない1行なんです。

岸本 うまいことまとまりかけているのに、って思うよね。

山崎 彼女の中ではストンと落ちている。

岸本 そう。でも、こっちは衝撃を受ける。

 

左:翻訳家 岸本佐知子(Sachiko Kishimoto)
翻訳家。訳書にリディア・デイヴィス『話の終わり』『ほとんど記憶のない女』、ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』、ショーン・タン『セミ』、ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』、ジョージ・ソーンダーズ『短くて恐ろしいフィルの時代』など多数。編訳書に『変愛小説集』『楽しい夜』『居心地の悪い部屋』ほか、著書に『なんらかの事情』ほか。2007年、『ねにもつタイプ』で講談社エッセイ賞を受賞。

右:コラムニスト・山崎まどか(Madoka Yamasaki)
コラムニスト。女子文化全般、海外カルチャーから、映画、文学までをテーマに執筆。著書に『オリーブ少女ライフ』、『女子とニューヨーク』、『イノセント・ガールズ』、『優雅な読書が最高の復讐である 山崎まどか書評エッセイ集』、共著に『ヤング・アダルトU.S.A.』、編著に『断髪女中――獅子文六短篇集 モダンガール篇』、翻訳書にレナ・ダナム『ありがちな女じゃない』など。

山崎 ルシアの小説には、生き物が死に絶えるかのように物語が終わるところがあって……。岸本さんは、ルシアの魅力を表現するのに、「むきだしのことば」とか「ハードボイルド」という言葉を使われていますよね。

岸本 「ハードボイルド」というのは、自分の感情というものに対して冷徹なところがあるから。でも冷笑的ではないんです。「温かい」というのとも少し違って、熱いけどさらさらしている。メキシコの乾いた風のような何かを感じるんですよね。
ルシアは、幼い頃は祖父に性的虐待を受けるなど、辛い目にも散々あっているんですが、「かわいそうな私」みたいなことで小説を書いているわけではない。

山崎 それは彼女を語るうえで欠かせない要素ではないかと思っていて。彼女の小説は、ほとんどすべてが、自分の経験をもとに書かれているんですけど、自己憐憫というものが一切感じられないんですよね。悲しいことやどうしようもないことはたくさんあったと思うのですけど、書くときには一切持ち込まない。涙と血とで描かれているんですけど、涙も血も、絵の具の色になっている。

岸本 訳しているときの感覚で言うと、ルシアの文章は、書き手と文章の間にすきまがあるように感じるんです。すきまがなくてビタッと密着していると「私って」という感じになるけれども、ルシアの場合、そのすきまにいろいろなアート的なものが浮き出しているというか。ユーモアもあるし、どこか客観的なんですよね。

山崎 ルシア・ベルリンの小説は、どの時代も誰かが必要としている文学だと思うんです。この名前が書店の棚に残っていってほしいと思っていて。これから2冊も3冊も出ればいいと思っています。

岸本 そうなればいいな。

 

<新刊紹介>
『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』

ルシア・ベルリン (著) 岸本 佐知子 (翻訳)

「アメリカ文学界最後の秘密」と呼ばれたルシア・ベルリンの小説集を日本でついに刊行!

2013年にノーベル文学賞を受賞したアリス・マンローや、短篇の名手レイモンド・カーヴァー、日本で近年人気が高まっているリディア・デイヴィスなどの名だたる作家たちに影響を与えながら、寡作ゆえに一部のディープな文学ファンにのみその名を知られてきた作家、ルシア・ベルリン。2004年の逝去から10年を経て、2015年、短篇集A Manual for Cleaning Womenが出版されると同書はたちまちベストセラーとなり、The New York Times Book Reviewはじめ、その年の多くのメディアのベスト本リストに選ばれました。本書は、同書から岸本佐知子がよりすぐった24篇を収録。この一冊を読めば、世界が「再発見」した、この注目の作家の世界がわかります!このむきだしの言葉、魂から直接つかみとってきたような言葉を、とにかく読んで、揺さぶられてください。


構成・文/堀沢加奈(講談社)
撮影/川端里恵(ミモレ編集部)
 
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