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ニックネームは「ブレイン(頭脳)」。ハーバード大学で磨きをかける雅子さま

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アメリカのトランプ大統領来日の晩さん会で天皇陛下がスピーチに盛り込んだ、雅子さまのアメリカ生活。雅子さまが進学したのは、アメリカの最高学府ハーバード大学。そこで雅子さまは、どんなことを学ばれたのでしょう?
広大なアメリカのなかで、勉強にスポーツに活躍された雅子さまの姿を追います。

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幸いだったのは、少女時代を日本で過ごせたこと


小学生のころから英語を習い、海外生活の経験がある雅子さんの英語力は田園調布雙葉中学校でも抜群で、スピーチコンテストの代表に選ばれたこともありました。
「オワは自分から手を挙げるタイプではないのですが、英語の授業などで当てられると、本当にきれいな発音で話しました。担当のマザーが『素晴らしい』を連発し、オワをとてもかわいがっていました」
と同級生は語っています。

中学2年と3年の担任で、英語を教えた平井恒子先生によると、
「活発で礼儀正しく、字がきれいでした。英語は書く、話す、読む、すべて優秀で、成績は5。ほかの教科もオール5に近かったですね」。

のちに父の恆さんは、
「雅子にとってとても幸いだったのは、帰国した小学校1年の終わりから高校1年の夏までの約8年半、ずっと日本で生活できたことです。
外務省の場合は、おおよそ3~4年で海外に出ることが多いのですが、たまたま私が外務大臣秘書官や総理大臣秘書官を務めたために、普通のローテーションより長く日本にいることができたのです。もっとも基礎的な勉強をするこの時期に日本のことがきちっと身についたのは、雅子にとってかけがえのないことだったように思います」
と、語っています。


父の転勤でアメリカのボストンへ


昭和54年(1979年)4月、雅子さんは田園調布雙葉高校に進学。その年の7月に、恆さんはハーバード大学客員教授およびアメリカの日本大使館の公使となって、再びアメリカに赴任することになりました。
父に同行して、雅子さん一家もアメリカに引っ越すことになったのです。
再びアメリカに向かう日、田園調布雙葉高校の仲間たちは、雅子さんを箱崎のエアターミナルまで見送りました。その人数は、雅子さんの学年全員130人のうち、100人をゆうに超えていたといいます。
高校1年の夏休み直前のことでした。