2019年にそれぞれ著書を発表した三浦瑠麗さんと中野円佳さん。三浦さんの『孤独の意味も、女であることの味わいも』は、性暴力被害にあった事実や子どもを亡くしたあとの生々しい感情、母親との確執などを赤裸々に語った自叙伝。対して中野さんの『なぜ共働きも専業もしんどいのか』は、今の働き盛り世代が求める生き方と既存の社会システムが噛み合っていないことへの指摘や考察が述べられています。
一見、「女性の生き方」という以外の繋がりはなさそうに見えるお二人の著書。しかし互いの感想を語るうち、「当事者性」「女女差別」「女性たちが置かれている環境や今後の課題」など、さまざまな共通点が見えてきました。

すべての女性の代表にはなれない。だからこそ私は私の物語を語る【三浦瑠麗×中野円佳】_img0
 

中野 円佳 1984年生まれ。東京大学教育学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。大企業の財務や経営、厚生労働政策を取材。育休中に立命館大学大学院先端総合学術研究科に通い、同研究科に提出した修士論文をもとに2014年9月『「育休世代」のジレンマ』を出版。2015年4月より、株式会社チェンジウェーブを経て、フリージャーナリスト。現在シンガポール在住、2児の母。女性のスピークアップを支援するカエルチカラ言語化塾、海外で子育てとキャリアを模索する海外×キャリア×ママサロンを運営。東京大学大学院教育学研究科博士課程。近著に『上司の「いじり」が許せない』『なぜ共働きも専業もしんどいのか 主婦がいないと回らない構造』。

三浦瑠麗 1980年、神奈川県生まれ。国際政治学者。東京大学政策ビジョン研究センター講師を経て、山猫総合研究所代表取締役。著書に、博士論文を元にした『シビリアンの戦争――デモクラシーが攻撃的になるとき』(岩波書店)、『21世紀の戦争と平和――徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』(新潮社)。第18回正論新風賞受賞。『孤独の意味も、女であることの味わいも』は初の自伝的作品。ブログ:山猫日記) メールマガジン:三浦瑠麗の「自分で考えるための政治の話」


頭の中の思想を、さまざまな経験から血肉にしていく


――まずは、お互いの著書を読まれての率直な感想をうかがえますか。

三浦 中野さんが2014年に出された『「育休世代」のジレンマ』は徹底したジャーナリスト目線がとても印象的でしたが、今回の『なぜ共働きも専業もしんどいのか』では、より当事者性が増していると感じました。子育てをしながら居住空間も変えながら、ご自身も変化してきたんだろうなというのがうかがえたし、実社会との距離感がとてもこう……“まろみ”を増した気がします。

中野 そうですか(笑)。ありがとうございます。

三浦 私たち学者やジャーナリストは机上の“あるべき論”から、年齢を重ねさまざまな経験をして、思想を血肉にしていきますよね。中野さんは当初から、私のように「ばりばり働いて、でも育児もしたい」層の想いを汲んでくれていましたが、さらにその領域を広げたのではないかと。

中野 それに関しては「高所得層ばかり取り上げている」という批判もあったんですよ。日本型雇用の問題を語ろうとして、その結果、多くの事例で「少なくとも稼ぎ主は正社員」という層を扱っているので。

三浦 でも、例えば共働きで世帯収入500~600万円の人と、1000万円を超える人たちとの断絶がさほど大きくないのが日本のいいところですよね。アメリカではこうはいかないけれど、日本は受けた教育も、食べ物の栄養価もそこまで断絶していない。せいぜい、バッグはいくらくらいのを買うのか、海外旅行にどのくらい行けるのか、という違いでしょう。

中野 たしかに、一億総中流的な感覚がまだあるのか良くも悪くもそこに断絶は見えにくい。

三浦 世帯年収500~600万円の世帯は今の日本の中堅層でもありますから、そこを念頭におけば「一般的な家庭がたまの楽しみも持ちつつ、子どもの教育についてもしっかり考えていくには」という話ができる。逆に中堅層に届かない層については、別個に打つべき政策や対応策を議論すべきだと思います。日本には世帯年収が200万に届かないという層もたくさんいます。その多くはシングルマザーで、生活のために仕事を掛け持ちしようにも、夜間に子どもを預かってくれる保育園がない……。そういった実態も社会課題としてしっかり見つめるべきですが、全ての家庭を同列では語れません。また「ごく普通の家庭が、当たり前に幸せになれる社会」がなければ、より生活に困窮している人たちを救うこともできません。


単純な「専業主婦」対「共働き」では、問題の本質は見えてこない

すべての女性の代表にはなれない。だからこそ私は私の物語を語る【三浦瑠麗×中野円佳】_img1
 

三浦 それから、“誰々がずるい”という考え方を取らなかったのも、この本のカギですね。「専業主婦」対「共働き」という対立軸に持っていってしまうものはよくあるし、確かに当事者になれば、「働かずに育児に専念できてずるい」「子育てしているのに働いていてずるい」といった感情も、互いに一度や二度は抱くでしょう。でもそうやって比較ばかりしていると“しんどさ”の中味が表に出てこなくなり、問題のリアルに近づくことができません。

――誰かを批判するつもりはなくても、しんどさから感情が先に立ってしまうことはよくありますね。

三浦 ジェンダーについても同じです。男女雇用機会均等法は1985年の成立からまだ34年しか経っていないんですよ。男女平等という考え方自体、本来なら何世代もの時間を経てやっと当たり前になっていくもののはず。その過渡期に、逆にさまざまな選択肢を示されてしまうからこそつらくなる。またそうした環境の中で女性一人ひとりが何を選び、どう生きていくことが正解なのかは「あの人はこういう方法でうまくいった」という形でしか探れない気がします。家族のありかたは共働き、専業主婦、専業主夫などさまざまですが、現状は女性にばかり選択を押し付ける社会構造になっている。仕事や家庭のバランスはある程度選択できても責任はすべて自分で背負わなければならず、結局どちらに転んでもしんどいというジレンマにぶつかる側面がありますね。それを「選択した人の自己責任でしょ」と言う人もいますが、そう簡単に片付けるわけにはいかないと思っています。

 
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