ドラマの中で、同意のないキスをどう描くか


――ただ一方で、そうやって人を傷つけない表現を目指すことって、つくり手としては難易度が上がります。たとえば、まだ付き合ってもいない相手から突然キスをされるというシチュエーションはラブコメの王道。でもそれは本人の同意のないキスであるという声が広まりつつあります。

吉田 10代の子が、カッコいい男の子がグイグイと迫ってくるシチュエーションに憧れを抱くのはすごくわかるんです。実際、私もそういうシーンをこれまで描いてきました。でも、それをカッコいいと思うこと自体が、今までそうやって描いてきたメディアの力によるところが大きい。だから、私は「もうそういうのはいいんじゃない?」という意見です。

若い子がドSが好きなのもすごくわかります。エンタメとしても、ツンツンした人が優しくなると振り幅ができて描きやすい。でも私は不用意に「お前」とか「バカ」とか言う人は嫌。だから、それがいいと思っている人が描けばいいんじゃないかなと思っています。

――撲滅したいのではなく、自分は加担しない。

吉田 自分が年齢を重ねたのもあると思うんですけど、自分が違和感を持つものをよしとしてしまうと、どんどん理想と遠のいていくんです。おかげさまで『チェリまほ』が反響をいただいたので、今後はこういう優しいラブコメの仕事がいっぱい来るといいなと思っています(笑)。

©豊田悠/SQUARE ENIX・「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」製作委員会

――ただ、つくり手の中には吉田さんのような感覚や感性を持っていない人もいますよね。「そんな小難しいことを言ってないで、わかりやすく数字がとれそうなものを書けよ」という声もなくはないと推測します。

吉田 まあありますよね(笑)。でも、どうしてもそういうシーンを入れなきゃいけないとなっても、何かしらのエクスキューズはできると思っていて。『チェリまほ』で言えば、3話で王様ゲームが登場しました。これは原作にもある、安達と黒沢にとって重要なエピソード。だから、カットはできません。でも、王様ゲームで無理やりキスをさせるなんて、本来はアウトですよね。

 

――めちゃくちゃアウトです。

吉田 だからこそ、六角(草川拓弥)に「王様ゲームとかまじ時代錯誤すぎて引くんですけど」と言わせることで、この世界ではこれはNOなんだよと提示したかった。そうやって、何かしら戦っていく方法をとるんだと思います。もし今後、私が何か原作ものを手がけたときに、原作の中で無理やりキスをする描写があったら、その前後で同意のないキスは良くないんだよとちゃんと言わせるかなと。そういうところから少しずつコツコツとやっていくと思います。

『チェリまほ』におけるアウティング


――吉田さんのそうした問題意識というのはいつ頃芽生えたのでしょうか。

吉田 私のいちばん好きな映画にジャック・ニコルソンの『恋愛小説家』という作品があって。ジャック・ニコルソン演じる主人公は、口が悪くて偏屈で極度の潔癖症。でも、なじみのレストランで働くウエイトレスのヒロインに恋をしたことから、持病である強迫性障害を治すため、大嫌いだった薬を飲むようになるんです。そのときに主人公が打ち明ける「いい人間になりたくなった」という台詞が私はすごく好きなんですね。決して最後まで主人公の偏屈さがなおるわけではないんですけど、どんな人間でも人との関わりを通じてちょっと良くなる。偏屈者の主人公を肯定するわけでも否定するわけでもなくフラットに描いていて、私のやりたい世界はこれだと思ったのが、最初のきっかけです。

あとは、『DOUBLE DECKER! ダグ&キリル』というアニメの脚本を書かせていただいたことも大きかったです。私はサブの作家として何話か書かせていただいたのですが、中でも8話はルッキズムと同性愛と女性らしさへのラベリングを扱った回で。ご覧になった視聴者の方からものすごくたくさんの反響をいただいたんです。そのときに、あ、私のやりたいことは間違ってないんだと思えた。『DOUBLE DECKER! ダグ&キリル』をやってから『チェリまほ』に挑めたのはすごくいい経験でした。あの8話がなかったら、もうちょっと『チェリまほ』も変わっていたかもしれないです。

©豊田悠/SQUARE ENIX・「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」製作委員会

――しかし、ポリティカル・コレクトネスというのは難しいもので。たとえば、『チェリまほ』でも2話で安達が友人の柘植(浅香航大)に対し、同性である黒沢から好意を寄せられていることを打ち明けています。これは黒沢の同意を得ていないので、アウティングとも言えます。

吉田 アウティングに関しては、私も考えることが多かったです。9話で六角が柘植に対し、湊(ゆうたろう)を避けている理由を「アイツがゲイだからですよね」と言うのも、やっぱりアウティングになってしまうので。自分の中では、湊から「もう近寄らないので安心してください」と六角に伝言を託しているので、アウティングに当たらないかなという気持ちがあったのですが、ご覧になった方の中には引っかかる方もたくさんいて。それはすごく反省だし、勉強にもなりました。

そもそも『チェリまほ』では同性愛がどのように社会から受け止められているかをはっきり描いてはいないんですよね。ただ、藤崎(佐藤玲)さんというキャラクターを描いたことで、恋愛に興味がない人がいることは認知されていない世界観というのが前提になってしまった分、余計にどういう世界観なのか混乱を招いた部分はあると思います。どの世界観で描くかということはもっと気をつけなければいけないことなんだというのが、今回見つかった課題のひとつです。