岸谷五朗が語る、エンタメがLGBTQを扱う意義と難しさ「作品で伝えたいことを見失っちゃいけない」_img0
 

近年、「LGBTQ」という言葉が広く認知されるようになりました。

言葉は当然知っている。それぞれの性の多様性を尊重したいとも思っている。だけど、時に不用意な発言で当事者を傷つけてしまうこともあるのかもしれない。あるいは、自分の身近な誰かがLGBTQと知ったとき、どんなふうに受け止めていいのか、まだうまく自信が持てないという方もいるのではないでしょうか。日本のセクシュアルマイノリティへの理解は、まだ歩みの途中です。

そんな中、レズビアンの女子高生カップルを主人公としたミュージカルが幕を開けます。2019年のトニー賞7部門にノミネートしたブロードウェイミュージカル『The PROM』が日本初演、結成25周年を迎えた演劇ユニット・地球ゴージャスが初の海外作品に挑戦します。日本版脚本・訳詞・演出を担当し、自らもベテラン俳優・バリー役で出演する岸谷五朗さんにLGBTQについてお話を聞きました。

 


自分にとって、セクシュアリティは個性のひとつだった


――岸谷さんはいつ頃からLGBTQに対して関心をお持ちだったのでしょうか。

岸谷 まだ20代の頃、踊りのレッスンのためになけなしの金をはたいてニューヨークに行ったんです。ニューヨークは、いろんな人種が集う自由の街。ゲイナイトもひとつのカルチャーになっていて、日本よりもずっとオープンなんです。

特に我々のような表現の仕事は、『The PROM』の中にもギャグとして「ゲイじゃない人がブロードウェイにいるの?」という台詞があるくらい、ゲイの人がいるのが当たり前の環境。

それこそブロードウェイにいたとき、初めて劇場の外で出待ちをしたことがあって。その人は『フォッシー』に出ていたダンサーで、見た目で判断できるものではないんでしょうけれど、見れば100%ゲイだとわかるような人だった。でも、その人にしか出せない魅力があって、本当にカッコよかったんです。

そういうこともあって、セクシュアルマイノリティの人というのはわりと身近だったんですよね。

――だから、ことさら特別視するようなことがなかったと。

岸谷 差別云々より、むしろ魅力のある個性を持った人たちという感じかな。

で、ちょうど僕がニューヨークにいた頃、HIVが恐ろしい勢いで広がっていて。当時、HIVはゲイの病気だと言われて、とんでもないゲイ差別が生まれたんです。今のコロナと同じですよね。人間はわからないものに遭遇したとき、本当なら手を組んで立ち向かわなきゃいけないはずなのに、ひどい差別を行ってしまう。

僕が1993年にエイズ啓発を目的としたチャリティコンサート「Act Against AIDS」を立ち上げたのも、そんな状況を目の当たりにしたことがきっかけでした。

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――その後もLGBTQは、岸谷さんの創作に影響を与えることはありましたか。

岸谷 そうですね。1999年に地球ゴージャスで『地図にない街―DOHENEKE‐HEKISHIN―』という作品をやったんですけど、そこに現実では男の子だけど、バーチャルリアリティの世界では女の子という役が登場するんです。その役を演じてくれたのが、はるな愛ちゃん。

まだ今のように有名じゃなくて。新宿二丁目で彼女を見つけて、その場で出演交渉。結果的に、それが彼女の初舞台となりました。

――そんな昔からお知り合いだったんですね。

岸谷 台本を書く上でも、彼女からいろんな話を聞きました。彼女の周りにも、性別を変えたいと手術を受けている人がいて。そこにどんな苦労があるのかとか、僕らには知らないことがいっぱいで。劇中に、マイノリティの苦しみを告白するシーンがあるんですけど、初めて稽古場ではるなが演じたとき、あまりにもリアルで、その場にいたみんなが泣いていましたね。