テレビの向こう側のアイドルとか、現実には存在しないアニメキャラとか。どう考えても手が届かない存在に本気で恋したことはありますか? 

かくいう筆者は「ある」と答えたいところですが、おニャン子クラブの好きなメンバー(今で言う「推しメン」)が卒業する時に数分間涙を流したのが関の山なので、「オタク」と呼ばれる熱狂的なファンの方々にしてみればスズメの涙ほどの恋愛感情だったかもしれません。オタクの方々が好意の対象である「推し」に全身全霊で愛情(金銭や時間も含む)を注ぐ姿を見ていると、神々しさすら感じることがあります。でも……

なぜ、見返りが期待できない存在を愛することができるのか?

それは一般的な恋心と同質なのか?

いろんな疑問が湧いてきますが、その辺の心理を、mi-molletのコラム「推しが好きだと叫びたい」でおなじみのライター・横川良明さんが教えてくれています。今回は、横川さんがオタクの心境をユーモラスに語り尽くした著書『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』から、該当する部分を抜粋してご紹介します。

 

 

ガチ恋よりもあつかましい、こじらせ


ガチ恋という言葉があります。

推しに対して本気で恋をしてしまうのが、ガチ恋。

 

一応、僕は推しに対する感情はガチ恋ではないというスタンスをとらせていただいております。気持ちとしては、オカンくらいの感覚。ですが、赤の他人の僕がオカンヅラをするのも実際のお母様に失礼なので、たとえるなら、僕は寮母。いそいそとメシを炊き、毎日シーツを洗濯し、推しの安眠を祈る。そんなイマジナリー寮母として、推しの生活を支えることができれば推しも幸せでしょうし、そうやってすくすく大きくなっていく推しを遠くでひっそり見守らせてもらえれば、僕も幸せ。長らくこれこそが推しとオタクのwin―winの関係だと思っていました。

が、しかしです。所詮、僕は欲深きオタク。マザー・テレサではないのです。この貧相な辞書に「無償の愛」という単語などあるはずもなく、おいしいご飯を食べさせてあげればあげるほど、見返りがほしくなるのが本音。そして、その見返りとは何かを突きつめていけば突きつめていくほど、行き着く答えは、恋愛感情に近い何かなのです。