おはようございます!

昨日は、母の日でしたね。おそく起きてスマホを見ると、メイドのミーユさんから、Happy Mother's Dayのメッセージが。肝心の息子たちからは音沙汰なしか、と思っていたら、お昼ごろに長男から手書きメッセージの写真が送られてきました。「Happy 母の日」と日英まざって書かれたあと、息子自身の名前が日本語で書いてありました。⋯⋯が、よく見ると、自分の名前の漢字を微妙にまちがえている(笑)。マイペースな次男から連絡はなく、そして母の日をまだ理解していない三男は、最近パパにべったりです。

パパと過ごせるのはほんの短期間だけど、ちょっとでも三男にフランス語に慣れてもらいたいというのが、親のもくろみ。このところずっと、母親と祖母に育てられてきた三男。パパにお世話をされるのは久しぶりなので、横で観察していると面白いです。

以前のブログでも書きましたが、うちは夫婦で子育てに対する考え方が結構違います。それが国際結婚だからか、単に個人として違うのかは正直わからないのですが、文化も言語も異なることを言いわけに、多少意見が合わなくても、「ま、いっか」。

国際結婚こそ日本人同士よりもちゃんと話合わなければいけない、とはよく言われます。うちの夫も口は達者なので、言い合いになることもありますが、結局のところ、日本人同士のように細かいところまでわかりあえない(日本人同士でわかりあえているというのも幻想かもしれないけど)と思っているので、お互い期待値が低いのが楽。

そんな夫の子育てこだわりポイントは、「ありがとう」をきちんと言うこと。幼児の子育てだけじゃなく、私が英語やフランス語でしゃべっていても、"Thank you" (や"Please")が抜けていると、注意してきます。

父の教育のおかげか(?)、三男は、私が何か取ってあげたり、コップに水を入れてあげたりするたびに、「ありやとー(ありがとう)」を連発するなかなかの紳士っぷり。

自分が子どもだったころを振り返っても、上の子の子育てしているときも、夫ほどは、「ありがとう」にこだわらなかったと思います。悪いことをしたら「ごめんなさい」を言うとか、家族以外の人にちゃんとお礼を言うなどのしつけはありましたが、家族間では、「ありがとう」はそんなに大事じゃなかったような⋯⋯。

それが夫には気になるようで、日本人の友だちの実家に招かれたりすると、同世代の友人が実家の母親に給仕してもらって、お礼も言わないのが、「ありえない」のだそう。母親を使用人のように扱っている、と映るようです。(ちなみに夫は、お店の人に水を注いでもらっても、私が普通に家族のごはんを作っても、いちいちメルシーと言います。)

外国人の夫には、「日本人は礼儀正しい人たち」という先入観があるから、身内での馴れ合いにギャップを感じるのかもしれないですね。

一方で夫の育った家族は、仲良し家族という感じ。でもそれは自然に仲良しというより、みんなの努力の賜物なのです。はなれて暮らす親にまめな電話を欠かさず、誕生日やクリスマスには忘れずギフトを贈り、事あるごとに「愛してる」。対面でギフトをもらったらその場で包みを開けてお礼を言って、ビズ(相手と頬を寄せて、チュッと唇を鳴らすキス)をするーーそのあたりのプロトコルは、私も夫から教えこまれました。

母の日を口実に、ケーキを買ってみました。左は柚子のケーキ、スポンジが素朴な感じですね。右側はチョコレートムースで、こちらも柑橘系の香りがしました。

夫と結婚する前には、そういう家族のあり方を「臆面もなくて恥ずかしい」と(たぶん多くの日本人と同じように)思っていました。実際に中に入ってみると、恥ずかしいというよりむしろ、節度がある。悪く言うと、「水くさい」という感じでしょうか。

これに関して面白い記事を見つけました。『人は思っているほど「ありがとう」と言わない やってもらうのは結構当たり前』というタイトルどおり、日常的な人間関係を観察すると、国を問わず、親切にしてもらってもいちいち「ありがとう」とは言わないのが普通みたいです。家族など身近な人に助けてもらうのは当たり前とみんな思っているから。観察対象となった言語のうち、西ヨーロッパ言語は英語とイタリア語だけでしたが、”英語とイタリア語の話者は、それ以外の6言語の話者よりも「ありがとう」と口に出して言う頻度が極めて高い(それでも7回に1回程度と少ないのだが)。これは西ヨーロッパに「礼儀正しさという文化的イデオロギー」が強く存在するためだと、研究チームは考えている。だからといって、英語やイタリア語の話者が、他の言語の話者よりも感謝を感じているとは限らない”そうです。

他に、こんな本もありました。

 

奥野 克巳著『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』

ボルネオ島の狩猟採集民プナンと長期間暮らした著者が、フィールドーワークから見えてきたことを綴った本ですが、これによると、プナンの社会では、個人の所有欲は否定され、財を共同所有するのがルールなので、何かをもらっても、「ありがとう」とは言わない(感謝をストレートに表す言葉がそもそもない)んですって。

なるほど、個人よりも互恵的な集団のルールが優先する社会ほど、「ありがとう」は影がうすいのですね。だとすると、西ヨーロッパでもとりわけ個人を大事にするフランス人が、家族の中でも「ありがとう」にこだわるのは、なんだかうなずけます。

水くさい、なんて書きましたが、私自身は我が家の方式をけっこう気に入っています。

というのは、上の息子たちの精神的な自立がとにかく早かったから。幼いころから、どこかに預けられてもうまくやっていくし、親以外の大人に頼るのも上手です。

逐一「ありがとう」を言わせる恩着せがましい(?)親に育てられたからか。家でごはんが出てくるのも、身の回りの世話をしてもらうのも、「有り難い=当たり前じゃない」と思っているみたいで、親がいないところでも、ストレスなく生き延びる方法を心得ているようです。ただ単に、親が忙しくてちゃんと面倒もらえなかっただけかもしれませんが(汗)。とはいえ、母親や、大人になったら彼女や妻が家のことをしてくれて当然と思うようになっても困るので、そういう意味ではよかったかな。

もうひとつは、私自身の育った家族の遠慮ない感じが、ちょっと苦手だったから。子どものころは、商売をやっていた母方の親族の影響を受けて育ちました。ワイワイとにぎやかな感じが決して嫌いではないのですが、トラブルが起こったときなど、歯に衣着せない感じや距離が近すぎるのがしんどかったことは多々あり。それもあってか、今でも家族といるよりひとりでいる方が気楽です。

うちの子どもたちはまだ幼いし、一番上の長男ですら、わがまま言ったり、言うこと聞かなくて手を焼くことは多々ありますが、それでも、家で雰囲気が悪くなったら、さっとはなれて冷却期間を置いたり、または自分から歩み寄ったり自然にできる距離感はさすがだなぁと思います。親の私の方が、「家族とはいえ、遠慮のないことを言いすぎた」と反省することもたびたび。

このあたりは、国を問わず、それぞれの人の個性によってどういう距離感が心地いいか個人差が大きそうです。距離感があまりに違う人が家族だと、大変かも。

皆さんの身近な人間関係は、どうですか?

日曜夕方のアペリティフ。週末のささやかな楽しみです。後ろのボウルにはいっているデーツやナッツはおやつとしても活躍。