「弔い上げ」がない墓守という役割にそもそも無理がある

親族、お寺、ご先祖様は許してくれる? いま「墓じまい」をためらわなくていい理由_img5
 

日本には伝統的に「弔い上げ」という慣習があります。最近ではあまり言われることが少なくなっていますが、これは年忌法要をいつまでも続けるのではなく、期限を区切ろうというものです。

葬儀を出してから1年が経つと、一周忌がめぐってきます。それからさらに1年が経つと、今度は三回忌がめぐってきます。三回忌というのは、葬儀を第一回と考え、一周忌を第二回と考えるからです。

その後は、四回忌、五回忌などを行うことはほとんどなく、次は七回忌というのが普通です。七回忌のあとは、一三回忌、一七回忌、二三回忌、二七回忌、そして三三回忌と続いていきます。

三三回忌を弔い上げとすることが多いのですが、それも、亡くなって32年が経つと、世代交代が行われ、故人のことを記憶している人もほとんどいなくなるからです。五〇回忌を弔い上げとすることもあります。

弔い上げになれば、それ以降は、その故人を対象とした年忌法要は行わないことになります。これは、なかなか合理的なやり方です。遺族が永遠に年忌法要を続けるわけにもいきません。

ところが、墓の場合には、そうした区切りがありません。いったん墓に埋葬されれば、墓守役となった子孫は、墓を守り続けていかなければならなくなります。

そこに根本的な無理、矛盾があります。しかも、一般の庶民まで墓を持つようになったのは最近のことです。

農家であれば、子孫もその土地に生活し続けるでしょう。しかし、サラリーマンとなれば、転居や転勤など、生まれた場所で生涯を終えるということはほとんどありません。ずっと墓がある土地に生活するわけにもいかないのです。

そうした状況ですから、墓じまいをするのも仕方のないことです。社会も大きく変わってきました。先祖代々の墓を守り続けられる社会的な環境ではなくなってきてしまったのです。

墓に葬られた先祖も、子孫に多大な迷惑をかけたいと思ってはいないはずです。一定の期間供養してもらえるならば、先祖もそれで満足するしかありません。先祖の存在が子孫の生活を束縛することになるのは、決して好ましいことではないはずです。

墓じまいを考えるようになったら、それをためらう必要はありません。なんとかそれを実現する。その方向に進むしかないのです。

著者プロフィール
島田裕巳(しまだ・ひろみ)さん

1953年、東京都生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。現在、東京女子大学、東京通信大学非常勤講師。主な著書に、『葬式は、要らない』(幻冬舎)、『捨てられる宗教』(SBクリエイティブ)、『0葬』(集英社)、『ブレない心をつくる「般若心経」の悟り』(詩想社)などがある。

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『「墓じまい」で心の荷を下ろす』
著者:島田裕巳 詩想社 1100円(税込)

地方の過疎化と高齢化がもたらしている“墓守の不足”。そんな現代の課題を解決する方法のひとつが“墓じまい”です。先祖から受け継がれてきたお墓を、どのように墓じまいすればいいか、なぜ墓じまいにはためらいが生まれるのか、そもそもお墓は日本人にとってどんな存在なのか――。宗教学者の著者が自身の墓じまい体験も交えつつ、さまざまな角度から「お墓」から自由になるためのヒントを提示します。


構成/金澤英恵