母親の尽きることのない愛情が生んだ「奇跡」

嘉成さんの8歳当時の漢字の練習帳

会社経営者として仕事に追われる和徳さんに代わり、嘉成さんの療育を請け負ったのが妻の有希子さんでした。彼女は嘉成さんを介助するため一緒に小学校へ通っていましたが、校長先生に待遇改善をお願いするために変わった手段を用います。それは、障がい者への待遇改善を呼びかけるメッセージを新聞に投書するという方法でした。

 

「『私たちの努力を認めてください!』と校長先生に直接言うよりも、新聞の投稿欄を使ってそれとなく思いを伝えたほうが効果があると考えたのでしょう。いま思うと、私は妻にうまいこと転がされながら社長業をがんばっていました。目端が利く彼女は、どうやったら私がヤル気になるかわかっていたのでしょう。“私のトリセツ”を熟知していたのだと思います。そして、私の操縦法を嘉成の療育にも応用した。そんなふうに思えてなりません」

このように何かと機転が利く有希子さんに支えられ、嘉成さんは健常児と一緒に普通学級で学び、少しずつ学力と社会性を身につけていきました。しかし順調に思えた矢先、有希子さんの体にがんが見つかります。あらゆる治療法を試みていったんは乗り越えますが、1年も経たないうちにがんが再発してしまうのでした。

「がんの進行はいっこうに止まらず、6月になると妻は昏睡状態に陥りました。そんなある日、病室で嘉成と一緒に妻を看病していると、信じられないことが起きました。こんこんと眠り続けていた妻が突然目をさますと、母の顔をのぞき込む嘉成のからだをつかみ、強く抱きしめたのです。あのやせ衰えたからだのどこに、あんな力が宿っていたのか……」

入院中も笑顔で息子との時間を楽しんでいた有希子さん

最後の力をふり絞った抱擁から2日後、有希子さんは和徳さんと小学5年生になった嘉成さんを残して静かに旅立っていきました。神も仏もないと、やりきれない思いに苛まれる和徳さんでしたが、後年、愛する妻の最期をこのように振り返っています。

「嘉成への最後の抱擁。あの信じられない光景は、息子への尽きることのない愛情が起こした奇跡だったと思います」