お墓の管理、みなさんはどうしていますか? 親御さんが故郷で元気に暮らしている場合、まだ考えたこともない、という方も多いかもしれませんね。筆者もその一人だったのですが、約3年前、知人からのあるお仕事の依頼をきっかけに「お墓」について考えるように。その内容というのが「ぼくの“墓じまい”の体験を原稿にしてもらえませんか?」というものでした。
こんなことを書いてほしいと渡されたメモには、地方における「長子」の呪縛、「本家」の重み、何代にもわたって連綿と受け継がれてきた「墓守」という役割、などなど、地方出身者の筆者には「ああ、わかる……」と共感せざるを得ない内容が綴られていました。お墓は本来、子々孫々引き継がれるべきものかもしれません。でも、「子どもたちの未来を思うからこそ“墓じまい”する」という選択もあっていいことを、私はその知人を通して知ったのでした。
今回ご紹介する宗教学者・島田裕巳さんの『「墓じまい」で心の荷を下ろす』は、具体的な墓じまいの方法を教えてくれるのはもちろん、「本当にいいの? ご先祖様に失礼じゃない?」という墓じまいへの心理的な負担を軽くしてくれる一冊でもあります。とても大切なことだからこそ迷って当然のお墓の問題。両親や夫婦の話し合いでぜひ参考にしたい本書から、特別に一部抜粋してご紹介します。
墓はただの石か、魂が宿っているのか
墓じまいということを考えたとき、それは随分と面倒だと感じる人もいるはずです。なにしろ、下に掲載した【参考:墓じまいの大まかな手順】でもわかるように手続きはかなり面倒です。
それに、もともとの墓のある場所と、新しい墓なり納骨堂のある場所とが離れていることがほとんどですから、移動の手間がかかります。一度で済めばいいのですが、手違いがあって、何度も行き来をしなければならないことだってあります。
それに、墓じまいには墓を壊すという行為が含まれますから、そこでためらってしまう人もいます。
墓じまいをするまで、墓は祈りの対象になっていました。墓参りをすれば、その前で手を合わせる。果たして、そうした墓を壊してしまっていいものなのでしょうか。
墓については、それをどうとらえるか、大きく分ければふたつの考え方があります。
一つは、墓はあくまで遺骨を納めるための場所で、それ自体はただの石造りのモノだという考え方です。
もう一つは、墓自体、信仰の象徴となるものなので、神聖なモノであるという考え方です。実際、寺院墓地だと、墓を新たに建てるときに、「開眼供養」ということを行うことがあります。
開眼と言うと、東大寺の大仏殿の開眼供養会のことが思い起こされます。それは国家的な大イベントでしたが、新たに鋳造された銅像の大仏に眼を入れました。それによって、銅製の置物が仏に変貌するわけです。その際、開眼を行ったのは、インド人の僧侶、菩提僊那(ぼだいせんな)でした。菩提僊那は、中国を経て来日しました。
墓の開眼は、「お性根(しょうこん)入れ」や「魂入れ」などとも呼ばれます。性根とは、人のこころの持ち方を指しますが、その本質ということでもあります。
したがって、墓じまいをしたときに、開眼供養とは反対の閉眼供養をすることがあります。墓から魂を抜くわけです。これは、仏壇を購入したり、廃棄するときにも行われます。新しい仏壇には魂を入れ、要らなくなれば、魂を抜くわけです。
※役所への手続きについては、自治体によって必要な書類、記入すべき内容が違いますので、閉じる墓の所在地の役所に必ず事前に確認をしてください。
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