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引き継がれる「心を寄せ続けること」。平和を願い、沖縄の子どもたちと交流を続ける【愛子さまの20年】

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2021年12月1日に20歳の誕生日を迎えられた愛子さま。これからは成年皇族としてご公務に携わるようになります。愛子さまらしくお幸せに歩まれますように、今後をあたたかく見守りたいものです。

思えば20年前、愛子さまのご誕生は、雅子さま、現在の天皇陛下、上皇ご夫妻はもちろん国民に大きな幸せをもたらしました。愛子さまご成人を記念して、ご家族で歩まれたこれまでの日々を振り返ります。

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愛子さま4歳。ご公務でトンガにご出発される当時の皇太子さま(現在の天皇陛下)をお見送りに。2006年9月18日、東京都港区・東宮御所にて。写真/The Asahi Shimbun/Getty Images

愛子さまが2歳半になられた7月のこと。愛子さまは沖縄の豆記者たち(本土と沖縄の小中学生の学校新聞の記者たちが相互に訪問し、それぞれの地域の実情を理解し、友情を深めようというもので、1962年から続く)と交流されました。

天皇陛下(当時は皇太子さま)と愛子さまが手をつないで、沖縄の小学生たちの前に立っています。この小学生たちは、沖縄県・宮古島の伊良部小学校の児童40名。どの子も真っ黒に日焼けしています。今日は、はるばる東京・元赤坂の東宮御所を訪ねてきたのです。

そのときの様子を、6年生(当時)の豆記者、伊佐真智子さんがこう話しています。
「東宮御所を訪問したのが2時ごろ。40人ほどの小学生のグループのところに、皇太子さまが愛子さまを連れてきてくださいました。お父さまに手をひかれた愛子さまの第一印象は、おとなしくて色白。ぽっちゃりしてかわいかった。オレンジ色の金魚のついた夏らしい服装で、恥ずかしそうに立っていられました。

2歳半と聞いていましたが、実際よりお姉さんっぽく見えました。私たちが思わず『かわいい』と騒ぎながら、愛子さまのまわりを取り囲んでしまったので、愛子さまはキョトンとして驚かれた様子でした。

皇太子さまが愛子さまに『こんにちは、は?』とか『ご挨拶して』と、やさしく教えてあげると、愛子さまは小さな声で『こんにちは』とおっしゃいました。お人形みたいでした。5、6分話して、皇太子さまが『バイバイは? できるでしょ?』と教えられると、愛子さまはコクンとうなずいて、小さな手を振って『バイバイ』して、お父さまに手をひかれて会場をあとにされました」

太平洋戦争のおり、沖縄ではひめゆり部隊など軍人ではない20万人もの一般人が戦争で亡くなっています。その悲劇を次の世代に伝えるために、沖縄豆記者交歓会が、沖縄の返還より前から行われてきたのです。

上皇さま(当時は皇太子さまから天皇陛下)と美智子さまが、まだお子さまたちが小さかったころから、一家をあげて毎年交流を続けてこられました。戦後の天皇家にとって、平和祈念は大切な仕事のひとつなのです。

上皇さまと美智子さまは、長年にわたり戦争の悲惨さを次の世代に伝える活動に取り組んでこられました。それを受け継がれた陛下が、自らの宝物である愛子さまを沖縄の子どもたちと交流させようとされる姿はほほえましく、平和を願うお気持ちが伝わってきます。

「心を寄せ続けること」
は、こうして愛子さまにも受け継がれていくのでしょう。
 

愛子さま14歳。イタリアを代表する画家・ボッティチェリの大回顧展をご鑑賞に。ご一家そろってグレートーンの装いで。2016年3月14日、東京都台東区・東京都美術館にて。写真/The Asahi Shimbun/Getty Images
愛子さま14歳。水を考えるつどいにご一家でご出席に。2016年8月1日、東京都千代田区にて。写真/読売新聞/アフロ


(つづく)
 

【秘蔵写真】愛子さまご誕生時、宮内庁病院前での幸せな瞬間
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写真/JMPA


キャプションは過去の資料をあたり、敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、その当時のものを使用しています。

構成/高木香織


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