時代の潮目を迎えた今、自分ごととして考えたい社会問題について小島慶子さんが取り上げます。

32年ぶりに訪れた飛鳥寺

昨年、感染の波がまだ落ち着いていた頃、奈良・飛鳥を旅してきました。高校生の時に修学旅行で行って以来、32年ぶり。女3人、大人の修学旅行です。

奈良をスタートに斑鳩を経て、飛鳥へ。仏教が興隆した奈良時代、聖徳太子が活躍した飛鳥時代、さらには仏教伝来前の古墳時代へと時を遡る旅です。
17歳の時に一度訪れているはずなのに、ほとんど記憶がないためどこへ行っても新鮮な気持ち。あの頃よりも見るもの全てが面白いのは、知識が増えたのと、自腹の旅だから元を取らなきゃという強い思いがあるからでしょう。

 

興福寺や東大寺のスケールに圧倒されたあと、聖徳太子ゆかりの法隆寺の美しさに打たれ、日本で最初の本格的な伽藍を備えた仏教寺院である飛鳥寺の跡に向かいました。なだらかな丘に囲まれた飛鳥ののどかな田園風景の中に、こぢんまりとしたお寺が建っています。日本最古の大仏・飛鳥大仏の一部には建立当時の素材が残っています。1400年の間に一時期は野ざらしとなり、土地の人々が藁で雨つゆを凌いであげていたのだとか。
鐘楼で鐘をつくと、遥か彼方まで音が渡っていって、なんとも言えず穏やかな気持ちになりました。きっと飛鳥時代の人々も、これと同じような風景を見ていたのだろうなあ……。

いえ、飛鳥寺ができた頃のこのあたりは賑やかな国際都市で、中国大陸や朝鮮半島からさまざまな先進的な事物や技術を持ってきた人々が大勢暮らしていました。やまと言葉と朝鮮半島の言葉、中国大陸の言葉が飛び交う、まさに日本の先端都市だったんですね。
豪族同士の勢力争いで暗殺なんかもしょっちゅうで、天然痘をはじめとした流行病にも繰り返し襲われた時代。昔から土地の人々が信仰している神々と、新たに大陸から入ってきた仏教が出会い、それを歓迎する人と恐れる人とがいて、祈りと諍いがこの地で様々な人の人生を変えたことでしょう。きっと若い人にとっても死はいまよりもっと身近だったはず。「若者には未来がある」なんて言えるようになったのはつい最近、医学の進歩と社会の安定が実現してからのことなのでしょうね。

こちらは17歳の私と蘇我入鹿の首塚

寺のすぐそばに、蘇我入鹿の首塚があります。田んぼを背にした小さな石塔を前にした時、突如、32年前にここで写真を撮ったことを思い出しました。確か友達と一緒にぐるりと石塔を囲んで、ふざけてポーズをとったような。その節は大変お騒がせ致しましたと一人静かに手を合わせます。1400年の歴史に比べたら、32年なんて一瞬のこと。
17歳の時は、自分には未使用の時間がたっぷり用意されていて、あらゆることがこれから始まるのだと信じていました。だけど本当は、当時の私が信じていた無限の未来は頭の中に描いた妄想に過ぎず、飛鳥時代の17歳の少女が明日にも流行り病で死ぬかもしれなかったのと同じように、本当はなんの約束もされていなかったんですよね。たまたま49歳まで生き延びて、こうして再び飛鳥の地に立てたことに感謝しました。

飛鳥寺を建てた蘇我馬子や仏教を日本に広めた聖徳太子は歴史に残っているけれど、ここで生きた多くの人びとは、体と一緒に消えてしまいました。私もきっと同じ。何を喜びとしていたのかなあ、どんな悩みがあったのかなあと、そんな記録に残らないことを想像すると、昔の人がうんと身近に感じられます。

自分の夢で頭がいっぱいだった10代20代、子育てで手いっぱいだった30代40代、いつも「この先」のことを考えて生きるのが当たり前になっていました。でもあと数年で子育ても終わるという年になって、最初から「この先」なんてなかったんだなあと気がつきました。40代後半、子供の巣立ちや仕事の定年が視野に入ってくると誰しも「人生の肝心な部分はもう過ぎてしまった」「衰えていくこの先をどうしよう」という思いに駆られることがあるでしょう。でも過去も未来も妄想で、現実は目の前にしかないのだと思えば、50代以降はもしかしたらようやく自分の時間を取り戻せる、いい年齢なのかもしれませんね。

東京に戻ってから書棚を探すと、首塚の前で撮った写真が出てきました。つい昨日のことのような、遠い前世のことのような。奈良の旅をはしゃいで報告する私を見ている端末画面の向こうの息子たちは、なんだか嬉しそうです。そうか、母親が自分の人生を愉快に生きているのを見るのが、彼らにとってもハッピーなんだね。

友人たちと、感染が落ち着いたらまた旅をしようねと約束しました。人生は理想通りにならないけど、未来の妄想にあれこれ気を揉むより、今生きているこの瞬間を楽しまなくては。
「なんだっけ、柿がなるなる法隆寺」
「ああ、松尾芭蕉?」
「どっちも違う!」
間違いに間違いを重ねて生きるのが私たち。女3人愉快な旅は、忘れ難い思い出と共に、また新しい過去になりました。

写真/Shutterstock


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