「四十才は二度目のハタチ。」

昔、そんな有名なキャッチコピーがありました。孔子は「四十にして惑わず」と言い、40歳は「不惑」とも呼ばれますが、これだけ長寿化の進む日本では40歳なんてまだまだ道半ば。これからの道に迷うこともあれば、新たな世界に放り込まれて戸惑うこともあります。

国分太一さんも、40代にして大幅なキャリアチェンジを迎えました。TOKIOを結成したのは、1990年、まだ国分さんが15歳のときです。CDデビューは、1994年。ファーストシングルの『LOVE YOU ONLY』をはじめ、『AMBITIOUS JAPAN!』『宙船』などのヒット曲を放つ一方、『ザ!鉄腕!DASH!!』では体を張った企画に次々とチャレンジ。『DASH村』『DASH島』『0円食堂』など人気企画を連発し、2014年には全バラエティ番組の中で年間平均視聴率ランキング首位を獲得したことも。

そこからメンバーの脱退を経て、会社設立。2021年4月から株式会社TOKIOとして新たなスタートを切りました。

まさにこれまでやってきたこととは180度異なるセカンドキャリア。本当ならいろんな不安や戸惑いがありそうなもの。だけど、なんだか国分さんはとってもイキイキしています。どうしてこんなにも新しいチャレンジを楽しめているのか。国分太一さんのキャリア論に迫りました。

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目標なんてなかった。“日本一テレビに出ている男”国分太一のキャリア観


日本のものづくりを支援し、地方創生など地域に密着した事業を展開する株式会社TOKIO。その取り組みは、昨今、何かと耳にする「SDGs=Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」そのもの。福島県庁内に『TOKIO課』を設置し、復興を応援するべく県産品の魅力をPRするなど、その活動はソーシャルイシューの解決に密接に関わっています。

しかし、国分さんは昔から社会貢献に関心があったわけではないと言います。

「10〜20代の頃は社会に関する関心なんてまったくなかったです。頭の中は売れたいしかなかった(笑)。『ザ!鉄腕!DASH!!』に関しても最初からSDGsを意識していたわけではないんです。『DASH村』は日本地図にDASHの文字を載せるというのが最初の目的で、それがいつの間にかどんどん自分たちで農業をやるようになって。『0円食堂』のような本来廃棄されるはずだった食材を使って料理をつくる企画が生まれたり、気づいたら自分たちのやっていたことがSDGsにリンクするようになったという感じなんです」

 

自身のキャリア形成に関しても、決して自覚的なタイプではなかったのだとか。

「僕はずっと目標を立てずに芸能界にいた気がするんですよ。自分からこれがやりたいというはっきりとした意志はなく、来た仕事をとにかくやってきた感じ。ありがたいことに司会のお仕事を多くいただくようになりましたけど、だからと言ってじゃあMCの道を極めようとか、そんなこともほとんど考えていなかったかな」

と言うものの、『オーラの泉』や『男子ごはん』など数々の人気番組に携わり、『いっぷく!』『ビビット』と帯番組のMCに挑戦。2014年から2016年の3年間に渡り、タレント番組出演本数ランキングで年間トップに輝きました。

「その頃が人生でいちばん忙しかった時期。平日は朝の帯番組。土曜は『すぽると!』をやって、日曜はTOKIOのライブ、なんていうスケジュールのときもありました(笑)」

もちろんそこに通常のレギュラー番組が加わるだけですから、その多忙ぶりは想像を絶します。

「周りの人は『忙しいですね』『オファーがたくさん来てすごいですね』と評価してくれるけど、アウトプットばかりでインプットができないから苦しいこともありましたね。だったらやめればいいんだけど、求められることに応えるのに必死で、そんな選択肢も浮かばなかったです」