広島県尾道市と愛媛県今治市をつなぐ瀬戸内しまなみ海道沿いには、6つの島が連なっています。そのうちの1つ、最も四国寄りに位置する大島に、鷲尾ユミさんは家族で移住しました。移住の経緯は前回の記事で紹介した通りですが、島暮らしを始めて丸3年が経った今、一家はどのような暮らしを送っているのでしょうか。島に暮らすようになって始めたこと、島暮らしの良さについて伺いました。

ごく普通のサラリーマン的な自分でも「島移住」できた!働き方と暮らし方_img0
子ども部屋から見える景色。「灯台に住む元船長の船室」をイメージしてライトをチョイスしたそう。


こだわりが詰まったしまなみの暮らし


「子連れで都会から越してきたと言うと“お子さんのためですか?”と聞かれますが、いやいや、ただ自分たちが海辺の窓の大きい家に住みたかっただけなんです。息子の小学校は1学年17人とまぁまぁの限界集落に暮らしていますが、その一方で都会かと思うほどこだわりのある商品が置かれたスーパーが近くにあったりするんですよ。移住前にそれを見て、ここだったら食に困らないんじゃないかとも思いました」

 


鷲尾さんがそう話すように、近所のスーパーには1つ700円のギリシャヨーグルトをはじめ、放牧された牛のミルクで作られたこだわりモッツアレラ、1本700円のクラフトビールなど、成城石井で売られているような商品が並んでいます。

ごく普通のサラリーマン的な自分でも「島移住」できた!働き方と暮らし方_img1
老人会のしめ縄作りで振る舞われたおうどん。地元住民との交流も楽しみのひとつ。

「しまなみ海道を訪れる旅行者がいるからそういったものが売られているのかもしれませんが、住んでいる人たちの佇まいも素敵なので、もともとそういう商品にニーズがあるのかもしれません。移住して一番変わったことが庭いじりを始めたことですが、周りを見渡すと自分よりずっと上の世代の方たちがミモザとシルバーリーフを合わせて植えていたり、日々勉強させてもらってます。

昔ながらの商店やお店ももちろんありますが、もともとセンスの良い人が多い土地なのかもしれません。隣の島に素敵な雑貨屋さんができたとか、ここのお花屋さんはアレンジがいいとか、そういった話もよく聞きますし、個人で素敵な店をやられている方も年々増えていて、この界隈は元気ですね」

ごく普通のサラリーマン的な自分でも「島移住」できた!働き方と暮らし方_img2
しまなみの島々には、海や橋を望むお洒落なカフェが点在しています。写真は亀山小屋からの景色。


5月から10月末までは海遊び


会社員だった旦那さんを残して親子2人でひと足先に移住した頃は、まだまだ東京に行く機会もありましたが、コロナのこともあって2020年2月以降は一度も東京には行っていません。

「こっちに馴染んでからというもの、東京はおろか、どこかに旅したいという気持ちは薄れました。5月頃から下手したら10月末まで海に入れるので、夏が来るのが楽しみで仕方がなくて。少しでも島を離れたら、ベストシーズンを満喫できないんじゃないかという気持ちの方が大きいんですよね(笑)。

夏は子どもたちが来ると、家の前の砂浜からカヤックを出したりサーフボードで遊んだり。釣り船があるのでみんなで無人島に行くこともあります。釣り船は、近所のおじいちゃんが“あそこのじいちゃんの釣り船が空いたらしい”って教えてくれて、原付バイクを買うような感覚で買えました(笑)。地元の方たちは、そういったことを教えてくださってきちんとつないでくれる。温かい人たちばかりです」

ごく普通のサラリーマン的な自分でも「島移住」できた!働き方と暮らし方_img3
自宅の前の浜からカヤックで無人島へ行けてしまうという羨ましすぎる環境! 夏の間は毎週のように友人家族が訪れます。


移住によって気持ちいい時間が増えた


夏が来るのが待ち遠しくてたまらないと話す鷲尾さんに、移住して一番良かったことを尋ねると「気持ちがいいと思える時間が増えたこと」という答えが。

「東京に住んでいた頃は景色に不満があったんですよね。家の窓は小さいし、ビルを見てもときめかないし、もっと綺麗だと感じる環境の中で料理をしたり暮らしたいなと。コロナになって、改めて人間の脳には気持ちいいと感じる瞬間って大事なんだなと思うようになりましたが、私にとってはそれが自然を感じられる時でした。たとえば早めに仕事を終えて、お酒を呑みながら夕日を見たり。こんな景色が広がっているのに、パソコンに向かって仕事をしてるなんて本当にやってられない!と思うことも多々ありますけど(笑)」

ごく普通のサラリーマン的な自分でも「島移住」できた!働き方と暮らし方_img4
自宅リビングからの眺め。車道を挟まず海に出られることも土地探しの条件の1つでした。

鷲尾さんは、東京にいた頃から海外企業の研究開発や事業戦略に関する調査を外注スタッフとして請け負っており、移住後はそれと並行して地域と関わる仕事も始めました。

「移住後は観光に携わることもやりたかったので、愛媛県がやっている創業の補助金制度に申し込んだんです。数ヶ月で補助金も採択されて、移住から半年後に“島にあかりを灯す”というコンセプトで料理人のワーケーション場所を作ろうと。そのテストイベントで、都内に住んでいた頃に通っていた店の料理人を島に招いて40人規模の出張レストランを開きましたが、島の方にも喜んでいただけて。それまで移住者の方とのネットワークはほとんどありませんでしたが、島の移住第一世代と言われるカフェの友浦サイトさんをご紹介いただけたことで、あっという間に移住先輩とのつながりもできました」

ごく普通のサラリーマン的な自分でも「島移住」できた!働き方と暮らし方_img5
移住後、半年で行ったイベント。みかん畑に囲まれた小さなカフェ、友浦サイトに都立大の人気店marucanを呼び、一夜限りのワインビストロを開きました。
 
  • 1
  • 2