ある日突然BTS(防弾少年団)に“沼落ち”したという小島慶子さん。

今やK-POPアイドルの枠を超え、全世界を席巻するBTS。なぜ彼らはここまで爆発的な人気を得たのでしょうか。


BTSがどんなメッセージを発し、世界中の人々の価値観にどのような影響を与えてきたのか……。本連載では小島さんが、様々な立場の“BTSに精通する人々”との対話を通して、『BTS現象』を紐解きます。

前回の序章に引き続き今回は、“なぜBTSの音楽に魅かれるのか”を探るため、20代だった1990年代に訪れた韓国での出会いと、日韓で流行した音楽の記憶について、小島さんに振り返ってもらいました。

第64回グラミー賞でのBTS。写真/アフロ


「私とBTSを結ぶもの」は何なのか。これまでの音楽遍歴を振り返る


ラスベガスでのライブをオンラインで見て、胸熱の小島です。少し前になりますが、グラミー賞での『Butter』も最高でしたね。BTSは昨年に続き「最優秀ポップデュオ/グループパフォーマンス賞」にノミネートされていましたが、残念ながら受賞はならず。メンバーのコメントにも悔しい気持ちが滲んでいました。

 

一ファンとしても、そしてひとりのアジア人としてもBTSが受賞するのを見たかったし、祝福したかったけど、きっとまたチャンスはあるでしょう。グラミー賞というアメリカ音楽業界の権威に認められてこそ、世界に新しい価値を打ち出せるという見方がある一方で、これからはグラミー賞を権威とみなす価値観自体を相対化する見方もできるかもしれません。

今回は、これまで自分が聴いてきた音楽とBTSの楽曲にどこか交わる点があるのだろうか? を検証してみようと思います。
K-POPの歴史に詳しい方、音楽全般に詳しい方、これは「BTSの研究」ではなく「突如BTSに沼落ちして混乱しているひとりの中年女性の研究」なので、素人が語ることをお許しください。

なにかを好きになることは、対象を体系的に理解して評論することではなく、対象との偶然の出会いを個人的な文脈に位置づけ、一方的に幻想を抱く行為です。“好き”は激しい認知の歪みであるとも言えます。ファンの数だけBTSの読み方があり、「私とBTSを結ぶもの」があるのですね。

BTSを読む なぜ世界を夢中にさせるのか』(キム・ヨンデ著)、『BTS オン・ザ・ロード』(ホン・ソクキョン著)でも述べられていますが、K-POPの歴史において、1990年代前半に活動したソテジワアイドゥルの存在は非常に大きいと言われます。活動期間は1992年から96年までと短いですが、メッセージ性の強い歌詞と独自の音楽性で絶大な人気を博した韓国のヒップホップグループ。BTSもソテジワアイドゥルの『Come Back Home』という曲をリメイクしていますよね。リーダーのソ・テジは1972年、私と同年生まれです。ちなみにBTSの生みの親であるパン・シヒョクも1972年生まれ。

私はBTSを好きになるまで、K-POPを日常的に聴く習慣がありませんでした。知識もゼロ。それでも、ソテジワアイドゥルの名は聞き覚えがあります。1995年に放送局にアナウンサーとして入社して間もない頃、担当していた番組で「今、韓国ですごい人気のグループがいる」と彼らを取り上げたのです。ごく短いニュースで、その時は「へえ、なんか面白い人たちだな」と思っただけでした。

当時の私は、日本で「新しい音楽」として流行っていたヒップホップの曲や日本語ラップは少し聴いていましたが、ソテジワアイドゥルの人気の凄さを理解するには至らなかったのです。けれど、韓国の若者たちには親しみを感じていました。人生に大きな影響を与えた、忘れ難い出会いの記憶があるからです。自分はなぜBTSの音楽に魅かれるのか? を考える作業は、90年代の東京で生きた一人の20代女性の視点を、49歳になってから辿り直す旅となりました。