時代の潮目を迎えた今、自分ごととして考えたい社会問題について小島慶子さんが取り上げます。

唖然としました。同時に、やはりという重苦しい気持ちにもなりました。吉野家の常務取締役を務めていた伊東正明氏の女性蔑視発言です(同氏は発言後に解任)。大学主催の講座で、吉野家の牛丼に馴染みのない若い女性を顧客にするためのビジネス戦略を説明する際に「生娘シャブ漬け戦略」と複数回発言したというのです。詳しい分析や解説は既に多くの専門家が行っているので皆さんもご存知でしょう。あからさまな女性蔑視、顧客へのリスペクトの欠如、多くの顧客に愛されている自社製品を軽んじる態度、どこから指摘していいのかわからないほど酷い発言です。

 

私は、伊東氏が自分と同世代であることにも深い絶望を覚えました。いわゆる団塊ジュニアと言われる世代は人口が多く、現在、日本のさまざまな責任ある立場を担っています。30代になった頃、私は「いずれ自分たちの世代が社会の意思決定をするようになったら、上の世代が当たり前だと思っていた男尊女卑やハラスメントの習慣を変えられるかもしれない。数の力を良い形で使って、働き方も価値観も、一気にアップデートできたらいいな」と期待していました。

 

ところが40代になると、メディアで“勝ち組”ともてはやされている同世代の男性たちが、平気で弱者を嘲り、切り捨てるような発言を繰り返すのを目にするようになりました。ジェンダー平等や人権問題に無関心な人も珍しくありません。一方で団塊ジュニアは、人生再設計第一世代とも呼ばれています。1990年代後半の就職氷河期で非正規雇用となった人たちが、そのまま中年期を迎えているのです。働き始めてからずっと給料は上がらず、共働き世帯が多数派となって「男は外で稼ぎ、女は夫と子供に尽くす」というモデルも崩れました。団塊ジュニアはそうした時代の変わり目に大人になったにもかかわらず、新しい価値観を生み出すことなく、逃げ切り組と逃げ遅れ組に分かれてしまいました。

私と同世代の女性たちは、男性優位の社会構造の中で働いたり子育てをしたりしながらさまざまな障壁にぶつかり、ジェンダーや人権について、そして働き方やあるべき社会の姿について、一人称で考えざるを得ない体験をしてきました。けれど格差社会の上澄みに入れた同世代の男性たちは、男社会の枠組みの中で既存の価値観に従っていればうまくいってしまった。だから形の上では平成、令和と時代をリードしてきたように見えても、根本的な価値観は昭和の負のレガシーを引き継いでしまっている人が少なくないのではないかと思います。