おはようございます!

夏至は過ぎてしまいましたが、まだまだ日が長いこの季節には毎年心が浮き立ちます。この時期に誕生日を迎えるからかもしれません。

子どもの頃は、梅雨生まれであることがいやでした。今は大好きな紫陽花も、子供心にはバラや桜にくらべるとパッとしなかったし、6月の誕生石のパールも、おばさんぽくてなんだか地味(笑)。

私が生まれた日は、たいへんな土砂降りだったそうで、小さい頃はなにかと周りの大人に雨女と言われました。「よりによって今日、雨が降っちゃった」なんて経験は誰でもあるはずなのに、これも雨女ゆえかと、運悪く雨に降られた記憶ばかり心に残ったことの方が
よほど残念。大人にとってささいな一言も、子どもの小さな世界では大ごとなのです。

うちの次男の誕生日は、クリスマスとお正月の間で、お祝いもプレゼントも他の行事と一体化しがちです。夫は、誕生日がかすんでかわいそうだとよく言っていましたが、先回りしてネガティブな気持ちを持たせてしまう方が気の毒。ホリデーシーズン中の彼の誕生日には家族が集まりやすいし、何より本人は楽しそうだし、むしろおめでたい日に生まれた子だと思っています。

 

雨女の思い出もあってか、雨の日は雨の良さがあるとわかったのは、だいぶ大人になってから。

さいきんは災害につながる雨も多いのでのんびりとばかりもしていられませんが、この時期、雨に潤んだ新緑や紫陽花を見るのが好きです。いつもよりちょっとだけあざやかさを増した風景と、そこに満ちていく雨の音は心をしずめてくれます。

そして雨雲の向こうには、一年でいちばん長くいっしょにいてくれる太陽。

この季節、雨が降らなければ、日が暮れかける時間帯に外出するのを日課にしています。7時過ぎでもまだ空が青かったりするので、ちょっとそこまで外の空気を吸いに出たり、時間が許せばカフェやバーに立ち寄ったり。

朝のような夜のような、あかるい蒼に染まる時間をひとりでそっと愛でるのです。

お酒を飲む習慣があった頃は、単純に「日が高いうちのビール最高!」とか思ってましたが、それだと休みの日にしか楽しめないし、アルコールに逃避しているような後ろめたさがありました。

でも日常的に飲まなくなると、ハーブティや冷たい飲み物でも同じくらい幸せになれることがわかり、あれがアルコールゆえの多幸感ではなかったと気づきました。

ノンアルコールの飲み物がおいしいバーも増えてきました。まだ他のお客さんがまばらな早い時間にささっと立ち寄って、その日の気分をリセット。

毎日あわただしく予定をつめこみがちな性格ゆえ、目的もなく散歩したりお茶したりするのは、自分の生理に反していると感じることもあります。今でもたまに「時間とお金のムダでは」と真顔で自分を問い詰めることもなきにしもあらずですが、実はそういう心地よいムダが命綱になってると感じます。

仕事でも家庭でも大事な案件はきっと頭で考えるし、人間関係は相手がいることだから思い通りにはならない。ふだんの生活で、自分の感覚を優先する場面ってあまりありません。でも一歩引いて見ると、これまで窮地を救ってくれたのは感覚が選ぶ心地よさだったという気がします。

「家族と過ごす時間を大切に」とか「休みの日は気持ちを切りかえてリフレッシュ」とかそういうことでもないんです。もっと無意味な、自分にしかわからない喜び。街の匂い、空の色、口にするものの質感、そばにいる人の気配などと、自分の状態がぴったり合う感覚とでもいうのでしょうか。

ほんの15分の空き時間をどこで過ごすか、道すがら何を見るか、何を飲むか、コーヒーをどこで買うかーー自分にゆるされたそんな小さな自由に、日々の心地よいきらめきは埋まっています。

それをしつこく探求し続けることが、頭に浮かぶネガティブな流れを断ち切って、物事の判断の精度をあげる近道だと言う気がしてなりません。

そんなことに気づいてから、日常に潜むきらめく小石を拾うことに自覚的になりました。

気温が上がり湿度が増すこの季節は、香りものが気になるので、自分への誕生日プレゼントとして香水やキャンドルを買うことが多いです。今年は、夏らしい色合いのキャンドルを購入。
ホワイトムスクの甘すぎない、凛とした香りで部屋の空気が軽くなります。 キャンドルって冬の夜のイメージがありますが、夏の暗くなりかけの時間帯にもよく似合いますよ。