選手としてやっている限り五輪が最終目標


――これは個人的な感想なのですが、昔から端正なスケーティングが魅力でしたが、ここ最近はそれに加えて、感情表現がグッと豊かになった気がするんですね。

そうですね。自分でもそれは実感があるというか、やっぱり小さい頃の演技とはまた違ったタイプのスケーターになりつつあるのかなというのは確かに思います。

――それは単純に人生経験を積んだからなのか、それとも何か心境の変化があってのことなのでしょうか。

年齢を重ねるにつれて、自分のスケートに対してもっとこうしたいという気持ちが強くなってきた気がします。やっぱり自分の演技にまだ決して満足はしていないので。毎試合、もっとこんなふうに滑りたいというものは必ず何かしらあって。そういう自分の気持ちをスケートに乗せられるようになったというか、スケートを通して観ている人に伝えたいという意志が昔よりずっと明確になった。そういうところがもしかしたら違いとしてあるのかもしれません。

どん底から這い上がった山本草太選手が辿り着いた境地「追い込むことより、スケートが好きだという気持ちを大事にしたい」_img4

昨年の全日本選手権SP後の一場面。今年の全日本は、代表入りを懸けた大一番となります 写真:アフロスポーツ

――選手としての最終目標は、やはりミラノに。

そうですね。選手としてやっている限り、やはり五輪が最終目標です。

――小さい頃からずっと五輪出場を目標に掲げてきました。

今までは小っちゃい頃から夢って言ってきたんだから、そう言わなきゃブレてるんじゃない?とか、目標が低いんじゃない?と思って五輪が目標ですって口にしていた面も正直少しありました。でもなかなかそこが見えないというか。自分の中では必死にやってるし、上を目指したいのも本当だけど、どうしても気持ちと結果が伴わないもどかしさがあって。

でも今はしっかり地に足がついているというか。時間はかかるけど少しずつ成長できている実感を得られているので、ここからまた目標に向かって自分らしく歩んでいけたらなと思っています。

 

――4回転トウループをバンバン決めていた15歳の自分は、こんなにも紆余曲折のスケート人生になるとは想像していませんでしたか。

もっと簡単にいくもんだと確かに思っていました(笑)。あの頃の僕は「挫折って何?」という少年だったので。それが、初めて挫折をして、怪我というハンデを背負って、正直それは一生ついてくるものだと思っているんですけど。それでも、ここまで頑張れている自分ってすごいんじゃないかなと褒めてあげたい気持ちもあるので。こうしてスケートをやれていることに感謝して、この場に戻ってこられた幸せとスケートができる喜びを噛みしめながら、自分自身のスケート人生を楽しみたいです。

――そんな山本草太のスケート人生を、今、自分らしいと言えそうですか。

そうですね。無理に過去と比べず。良かった頃の自分に近づけようとか、同じことをやってみようとするのではなく。今の山本草太というものをスケートを通じて表現したい。それが、今のスケートに対する僕の気持ちです。


今の山本草太を表現したい――。その言葉には、挫折と葛藤を乗り越え、自分自身を受け入れた人だけが持つ強さと眩しさがありました。

実力者揃いの日本男子。その中で代表の枠を掴むのは決して簡単なことではありません。道が開かれるのは、挑戦し続ける者だけ。だからこそ、山本選手は挑み続けます。

その挑戦の先に、幼い頃に夢見たあの舞台が待っている。山本選手の“Road to Milano-Cortina”がいよいよ始まりました。

インタビュー最終回は、競技から離れた素顔の山本選手をクローズアップ。ぜひお楽しみに!


山本草太(Sota Yamamoto)
2000年1月10日生まれ。大阪府岸和田市出身。6歳でスケートを始める。ジュニアグランプリファイナルで2年連続表彰台、世界ジュニア選手権で銅メダル、リレハンメルユース五輪で金メダルなどジュニア時代から華々しい成績を残すも、2016年3月、2度目の世界ジュニア選手権への出発当日の練習中に右足首を骨折。競技から遠ざかる。3度の手術を経て、2017年9月に競技復帰。以降、日本代表候補のひとりとして国内外の試合に出場し続けている。目標は、ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪出場。
Twitter:@ so_ta0110
Instagram:@ sota0110


取材・文/横川良明
構成/山崎 恵
 

どん底から這い上がった山本草太選手が辿り着いた境地「追い込むことより、スケートが好きだという気持ちを大事にしたい」_img5
 

「【フィギュア山本草太選手】痛恨の全日本から新シーズンへ。飛躍を懸けた4回転ジャンプ改良計画」>>