「体罰」という言葉で矮小化されてきた
保育園から高校を卒業するまで、「自分の機嫌や感情で怒鳴り散らす」保育士、教師がいなかったことがありません。もちろんそうではない大人の方が多いことと思いますし、大変な環境の中、奮闘されている現場の方がたくさんいらっしゃることも知っています。
ただ、「教育者」「指導者」という立場を盾に、理不尽な理由で、虫の居所が悪いという理由で、弱い立場の子どもに当たり散らす。そんな大人もいるのが現実です。
暴行も傷害も「体罰」という言葉で矮小化され、明らかなパワハラ・フキハラ(不機嫌ハラスメント)・モラハラも「指導」として行われる。ブラックボックスと化した密室で、自分がされていることが「ハラスメント」「虐待」「暴行」だと気づくことも、声をあげることも難しい立場にいる子ども達が、被害に遭い、一生のトラウマを抱えるという現実があります。
教師を敵に回したら、学校生活がもっと過酷なものになってしまうかもしれない、内申に響くかもしれない。そう思って、誰にも打ち明けられない子どもたちも多くいることでしょう。
拙著で書いた体験を読んだ人から、「昭和じゃあるまいし、平成でもそんなことあるんだね」と驚かれたことが何度かあります。「普通そんな教師がいたらすぐ問題になる。自分は暴力を振るう教師なんて見たことない」と言う人もいました。でも、「自分が見たことがない」から、「社会に存在しない」わけでは決してありません。被害は確実に存在するのです。自分が見たことがないからと、ないものにしないでほしいのです。
「暴露系ユーチューバーに告発すればよかったんじゃない?」とも言われました。確かに、最近では部活の監督による暴力行為が、ユーチューバーなどによって暴かれるということもありました。しかし、子どもの場合、そもそも自分がされていることを自覚することも難しいですし、今でもインターネット環境がない家庭だってあります。
実際私も、家にインターネット環境はなく、小学生の時はケータイももちろん持っていませんでした。ど田舎の閉鎖的なあの環境で、いったいどうすればよかったのか、いまだに考えることがあります。
どこで行われようが「犯罪」である
保育士や教師による暴力行為をどう防いでいくか、これから活発に議論されていくことと思います。私が1つ思うのは、今回の事件は決して特殊な例ではない、ということです。どこでも起きうる、そして起きていることなのだと思うのです。
暴行の内容の違いこそあれ、今この瞬間も全国各地で、密室での暴力行為は間違いなく起きています。今回は迅速に逮捕されましたが、多くは闇に葬り去られ、子どもたちは大人になっても、傷を抱えながら生きていくのです。
もう、保育所や学校内での暴力行為を「体罰」や「行き過ぎた指導」などと矮小化する文化は今すぐ断ち切り、どこで行われようが「犯罪」なのだという認識を強めていかなければならないと思います。
写真/Shutterstock
文/ヒオカ
構成/金澤英恵
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