世の中はあなたを傷つけないようにはデザインされていない


――自分をねぎらうという意味でも、自罰的に生きるのをやめたいなとは思っています。スーさんは自罰的だった時期ってありますか。

過去にはありました。自罰的な感じって、実は居心地がいいんですよね。

たとえば、何か不当な扱いをされたとする。それに対して怒るより、自分で勝手に「でも、私が××だから……」と耐える理由を探すんです。この「××」に当てはまるのは、ケースによってさまざまで。それこそさっき言ったみたいに「他に友達がいないから」とか「仕事だから」とかいろいろありますけど、そうやって耐えてるのがバカバカしくなって、30代半ばくらいにやめました。

――どうやってやめられたんですか。

まず、嫌なことをする人のそばにいないこと。それだけでだいぶ変わると思います。そこは自分で自分を守ってあげられるポイントですからね。ちゃんと自分がやらないと。

「世の中はあなたを傷つけないようにはデザインされてない」傷つくのが怖い人たちへ、ジェーン・スーが伝えたいこと_img0

 

――スーさんが自分を守るためにやっていることって何ですか。

自分の尊厳に関わるところには、迂闊に他者を踏み込ませないようにはしていますね。仕事の場合だったら、ジェーン・スーとして大切にしてることをないがしろにされたり、変えろと言われても従わない。

さっきの愚痴の話につながるんですけど、愚痴っぽくなる人って、自分の尊厳に他者がグイグイ踏み込んできても嫌だと言えない場合が少なくないんですよね。で、結果、どんどん愚痴っぽくなっていく。その悪循環を解消するには、自分の尊厳に立ち入られたら相手から距離をとるしかないと。

 

――そこで最近の課題なのですが、年齢を重ねると知らず知らずのうちに威圧感が出ちゃいますよね。あまりなめられたくはない。さりとて威圧的にも見られたくない。という迷いがあって、どうすればいいのだろうと。

処世のテクニックとして、なめられないけど威圧を感じさせない方法というのはあると思います。仕事だと相手を萎縮させてはならない場面もありますから。けど、日常生活でそれを身につけたところで、あんまり意味がないとも思いますよ。

それよりも大事なのは、嫌な顔をされることをちゃんと引き受けること。

――で、でも嫌われたくはないじゃないですか……?

嫌われるのが怖いのはわかるんだけど、それって自分の思った通りに世の中をデザインしたいっていう話でもあると思うんですよ。でも残念ながら、世の中はあなたを傷つけないようにはデザインされていない。それがわかると、少し楽になるかも。

自分の思い通りにしたいけど傷つくのは嫌だというのは、ワガママの部類に入るのではと私は思います。自分の意志を通そうとしたら、反意を抱かれることもある。そもそも傷つくことがあるのが自然なんじゃないかな。