こんにちは。週のまんなか水曜日、いかがお過ごしですか?
今日は、「時とつながる」の日にしたいと思います。
「好きな画家は?」と聞かれたら、この人を答えます。

マリー・ローランサンです。
ピンクとグレーの色使い、雲の中にいるようなふわっとした線、憂いを秘めた視線。絵から感じられるアンニュイな雰囲気が大好きです。
先日、Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「マリー・ローランサンとモード」展を見に行ってきました。実はマリー・ローランサンの作品は、そのほとんどと言ってもよいくらい、かなりの数が日本にあるんですよね。以前は長野にあり、数年前は東京のホテルニューオータニ内にあった「マリー・ローランサン美術館」が所蔵しています。

1883年生まれのローランサン(ちょうど私と100歳違い!)は自由な空気のパリで、様々な人、様々なアートとともに生きてきた女性。ピカソを代表とするキュビズムに影響を受けた絵画や、バレエ・リュスと呼ばれるロシアのバレエ団での衣装デザインなど、出会いから新しいものを生み出していくアーティストだったようです。
展覧会では、ローランサンがパリで活躍し始めた1920年代、つまり第一次世界大戦後の作品が数多く見られました。

そんなローランサン、実は詩人でもありました。
退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。
(マリー・ローランサン作 堀口大學訳)

絵画にでてくる物憂げな女性たちと重なるような悲しい詩。1914年にドイツ人男性と結婚したローランサンでしたが、不幸なことに結婚式直後に起きたサラエボ事件をきっかけに、フランスとドイツは戦争で敵対してしまいます。
亡命し、7年もの年月をスペインで過ごした夫婦の関係は悪化。当時書いたポエムが『鎮静剤』でした。
戦争が終わり、夫とも別れて母国に戻ったローランサンは、前述のとおりパリで活躍し始めます。美しい絵画の中に、常に物憂げな色彩が描かれるのは、そんな悲しい7年間があったからなのかもしれません。

時代が変わっても、生きた人間の心に積もった記憶は変わりません。時とともに忘れていくことだってあるけれど、サラサラと降ってくる砂時計のように、層となってずっとそこにありつづけるもの。
芸術として昇華していったローランサンの作品は、誰の心にもきっと潜んでいるであろう悲しみの層に、そっと寄り添ってくれるような気がします。ふわっと、雲のように、優しい色彩で。

私の好きな画家はマリー・ローランサン。久しぶりに会えて、うれしかったです。
さて、本日の司書箱です。

それでは、よい日々を♪
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