家に居座る定年夫、どうすれば?
──庵主さんのように、真正面から悩みを受け止めてくださる方がいると冷静になれるのでしょうね。逆に言えば、普段の生活の中ではそういう存在がいなくて、冷静になるタイミングがないのかもしれません。
夫が原因でイライラが止まらないというお悩みは、ミモレさんの読者世代の方にもけっこういらっしゃるんじゃないでしょうか。
実際、多いです。「定年したダンナが家でなーんにもしないでゴロゴロしてる。家事をするのは私なのに、ホントゆううつで」というご相談が。でも、残念ながら、山のように動かぬご主人を変えることは難しい。もっと言えば、「ゴロゴロしていて鬱陶しいダンナをどうにかしたい」と思うこと自体が苦痛のタネなんです。
ならばいっそ、動かぬダンナは家の定位置に「整理済み」ととらえて、ご自分の考え方を変えちゃいましょう。無料の番犬にいてもらってると思えばいい。実際、男の人はいてくれるだけ頼りになるのは、離婚後、痛感させられました。「あなたのおかげで安心して外出できる」と立てて感謝して、不徹寺に盛大にグチをこぼしに来ればいい。役立ってくれてると思えばゴロゴロ亭主も許せます(笑)。
嫌いな人は嫌いのまま、距離を置いて付き合えばいい
──何か、若い人へのアドバイスはありますか?
お寺では企業の新人研修も請け負っているんですが、皆さんとっても一生懸命。素直ないい子が多いです。でも、ちょっと思うんですよね。そんなに頑張って「いい子」になんかならなくてもいいって。だって、苦しいですもん。
だから、偉い人がいようがいまいが、こんなふうに法話をします。「“上司を尊敬しましょう”とか、“職場のみんなと仲良くしましょう”とか、確かに正しい。だけど、自分がその正しい場に身を置くことが苦しいのならば、無理する必要は全然ありません」と。
──「みんなと仲良く」というのは、一種の同調圧力ですよね。そういった社会の風潮に自分を合わせられなくて苦しんでいる人は多いと思います。
よく、組織や社会になじむことをたとえて「歯車になる」という言い方をしますよね。居酒屋で酔っ払って勇ましく「会社の歯車になるなッ」とか叫ぶオジさんもいる(笑)。だけど私は、「歯車上等!」じゃないかと思うんです。時計なんか、中の仕組みを見てみると、意外といろんな形の歯車がいっぱいあって、それぞれ噛み合ってるでしょう? 必ずしも、みんなおんなじ形じゃなくたって、組織も世の中も回っていくんじゃないでしょうか。
嫌いな人は嫌いなまま、自分の心の形を変えることなく距離を置いて付き合えばいい。気の合う者同士、けっこうカチッと歯車が噛み合って、面白いほうに動いていくことだってあるはず。その証拠に、私のような集団行動が苦手な尼さんだって、どうにか社会の一員として60年やってますから。ぜーんぜん、問題ありませんよ。
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