父と子の、いびつな蜜月
「さすが、塾にも行かずにいい大学まで進んだだけあって、夫の勉強法は素晴らしく計画的かつ実践的。社会のために極力現地に行って写真を撮ってきたり、理科で深夜まで息子と天体観測したり。それまでは超インドアだったのに、急ごしらえで一式揃えてキャンプにもよく連れていきました。虫や草花のスケッチに余念がありません。
算数は高難度のテキストを2周どころか3周、読書は彼が毎週図書館に行って10冊借り、毎朝2冊持たせます。帰宅してからは口頭で本の要約をさせていました。
夫が凄いところは、子どもにやれやれと言うだけでなく、それ以上に自分が準備したり一緒に学んだりしているところ。……だから気が付かなかったんです。次第に異常な熱を帯び始めたということに」
ちょうどその頃、大手税理士法人を辞め、独立した英太さん。多少自分の仕事の融通が利くようになったこともあり、その時間を息子さんの勉強の伴走に本気で充てはじめます。
独学で受験を突破してきた英太さんのノウハウもあり、息子さんの成績はあっという間にトップクラスに。もちろん資質もあったのでしょう、響子さんも「小さい頃から飲み込みはいい方だったとは思います」と認めています。
ここで現在の中学受験の状況について調べてみたところ、小学校4年生からスタートするのが一般的で、通塾は週2日ほど。学年が上がるにしたがって通塾日数は増え、6年生では大手塾では週に4~5日にもなります。6年生の夏休みなどは、1日10時間ほど塾に滞在するのもザラというから驚きです。
なかでも響子さんの息子さんが通っていた塾は、夜遅い日は平日でも10時くらいまで勉強することもありました。スパルタ方式で実績を上げるところで、どちらかというと家庭で管理するよりも塾に任せたいタイプの親子に向いている塾です。
「夫は、眠くならないようにと、塾が終わってヘロヘロの息子を23時から立って勉強させていました。見かねて『もうやめて、寝よう』と言っても、その頃の息子は結果が出ることもあって『もっとやる!』って言うんです。ご飯もストップウォッチで測って15分。お風呂は10分、しかも父親が脱衣所で暗記モノを読み上げます。
でも2人は変なふうに歯車ががっちりとかみ合っていて、蜜月状態。私が違和感を抱えながらも、4・5年生の間は口をはさむことはできませんでした」
たしかに、息子さんご本人にやる気があるときに、割って入るのは難しいのかもしれません。それにしても、なぜ英太さんはそこまで息子さんの受験勉強に没頭したのでしょうか?
聞けば、英太さんは小さい頃、知らないことを教えてくれる塾や、親が付ききりで勉強をみてくれる家が羨ましかったのだと言います。そして大人になり、初めて中学受験の特殊な世界を間近に見て、自分が受けたかった教育はこれだ! とピンと来てしまったのだそう。
孤独に努力を重ねてきた英太さん。お金も時間も愛情もふんだんにかけてもらえる恵まれた一部の子どもたちに理想を重ね、まるで自分を育て直しているかのようでした。
英太さん自作の資料集や、スキャナーアプリを使った「ミスした問題だけを集めた」テスト、メルカリで落札した他塾のテキスト。次から次へと息子さんに与えました。
父の期待を一身に背負った息子さん。5年生後半の時点で校舎1位、全国模試でトップ10常連となります。その頃には塾のスーパーエースとしてむしろ塾がなんとか合格するまでその塾に居てくれるようにあれこれ特典を用意しはじめたそう。
「本当にそんなことあるんだ!? と驚くことの連続でした。特待生として塾代の一部が免除されたり、関西の学校に『星取りツアー』(合格実績を作るため、優秀な生徒を塾が遠征させること)をほのめかされたり。最初は正直に言えば鼻が高い気持ちにもなりました。
でも私は、何も分かっていなかった。夫の愛情が狂気にすり替わっていくことにも気づかないのですから呑気な妻です。その間に、息子は少しずつ、塾と父親の期待に応えられなくなりつつある自分に気づいていました」
後編では、ついに終わりを告げた親子の蜜月と、父の狂気、そしてその状況に妻としてどのように対峙したのかについて伺います。
取材・文/佐野倫子
構成/山本理沙
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