大切な存在がいなくなることの受け止め方は、人それぞれなのだな

そして、おばあちゃんは私が27歳のときに77歳で亡くなった。おばあちゃんの娘である母と母の妹に見守られながら病院で息をひきとった。私はもう十分に覚悟ができていたので静かな気持ちでその知らせを聞いて「おばあちゃんありがとう」と心の中で唱えながら眠りについた。

でも、どこかでちゃんと実感できていなかったんだと思う。頭ではもういないと理解したつもりでも、それは言葉の世界の中だけのことで、聞いただけでは体の中に真実味がないというか、今はただおばあちゃんに会っていない状態と変わらなくて、これまでと同じような感じがしていた。
 

 


それが決定的に変わったのはお葬式の際に棺桶の中で永遠の眠りについているおばあちゃんの姿を見た時だった。初めて実感として、ああ、おばあちゃんは亡くなったんだ、ということを身体的にも理解咀嚼ができて、人生で一番静かな涙が流れた。とても冷静で理性的な涙だった。感情から湧き出たのではなく、身体から自然と、生理現象のように流れた涙だった。そして、やっと本当の意味でおばあちゃんありがとう、さようならができた。

おばあちゃんには婚姻関係ではないパートナーがいて、とても物知りで色んなことを私に教えてくれるような人だったけれど、おばあちゃんが亡くなることを受け止めきれなかったのか、おばあちゃんが亡くなる前に自宅にあるおばあちゃんに関係するもののほとんどを独断で処分してしまったらしい。そのことに母と母の妹はショックを受けて、その方はお葬式にはいらっしゃらなかった。

人がいなくなるとはものすごいことで、それに直面したとき、人間はどうなってしまうのか本当にわからないものなのだな、人それぞれ悲しみ方も受け止め方も全然違うのだなと私は静かに思い、どうか人それぞれの感じでお元気でいてほしいと心から願った。

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そんなことを思い出しながら新宿に到着したロケバスを降りて、電車に乗り、銭湯に寄って帰ろうと電車を降りて、まだ少しだけ残っていた映画を観てしまおうと駅のホームのベンチに座り、また静かに流涙を実行していたら、隣にどすっと座ってきた方がいらっしゃって、泣きながらそちらをふわっと向いたら、そこには銭湯や税務署で奇跡の遭遇をするご近所の親友みっちーが座ってこちらを見ていた。そして、駅のホームで泣いている私に気づき「え、ど、どしたん、大丈夫?」と真剣な眼差しで聞いてきたので「あ、ちゃうねん、ちょっと宮本信子さんを見ると泣くフェーズに入ってて、ちゃうねん、宮本信子さんやねん」と訳のわからないことを言っている私をもっと心配そうに見つめる親友よ、いつもスーパーサプライズな偶然をありがとう。お餅食べる?

「私の女神、一生の指針。ほんまにほんまにありがとう」尽くして与える「ホスピタリティー」を大切にする理由【坂口涼太郎エッセイ】_img0

 


<INFORMATION>
坂口涼太郎さん出演
『ACMA:GAME アクマゲーム』
毎週日曜よる10時30分 日本テレビ系で放送中

「私の女神、一生の指針。ほんまにほんまにありがとう」尽くして与える「ホスピタリティー」を大切にする理由【坂口涼太郎エッセイ】_img1
 

日本有数の総合商社・織田グループの御曹司だった織田照朝は、13年前、父・清司を正体不明の男に殺され、全てを失った。犯人の目的は、清司が持っていた1本の古びた鍵……。その鍵を手に入れた者は、集めた鍵の数だけ運気が上がり、99本集めると、この世の全てを手にすることができるといわれる「悪魔の鍵」だ。
殺される直前の父から「悪魔の鍵」を託された照朝は、海外に脱出。以来、世界中を渡り歩いて「悪魔の鍵」の秘密を追っていた。そして──父の無念を晴らすため13年ぶりに日本に戻って来た照朝は、「悪魔の鍵」を狙うライバルたちとの命懸けの頭脳バトル「アクマゲーム」に巻き込まれていく……!
人知を超えた悪魔の力がいざなう、命を賭けた頭脳×心理戦!果たして父を殺した男の正体は!? 負けたら最期…極限の遊戯(デスゲーム)が始まる!!


文・スタイリング/坂口涼太郎
撮影/田上浩一
ヘア&メイク/齊藤琴絵
協力/ヒオカ
構成/坂口彩
 
「私の女神、一生の指針。ほんまにほんまにありがとう」尽くして与える「ホスピタリティー」を大切にする理由【坂口涼太郎エッセイ】_img2
 

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