日常にこそきらめきを見出す。俳優・坂口涼太郎さんが、日々のあれこれを綴るエッセイ連載です。今回のエッセイのタイトルは、「俳優に必要不可欠な素質」です。他のいろんな仕事と同じように、俳優業にも「ならでは」の苦労がある様子。

「この時間で何ができたやろう...」の受け止め方。長すぎるロケバス移動に欠かせないもの【坂口涼太郎エッセイ】_img0
 

俳優にとって必要不可欠な素質をご存知ですか? それは「効率」という言葉と概念を脳内から消去することができるかどうかです。自分の脳内にある自分辞書、自書から「効率」という言葉をすっかりと削除することが必須となっております。あ、マッキーで塗りつぶすなんていう消し去り方ではいけません。逆に、というか、より気になるやん、あれ。当時の俺やっちゃってる、黒く塗りつぶして無かったことにしようとしてるけど、塗りつぶしても忘れられねえんだよ、塗りつぶすことによってそれはより存在を主張してきて脳裏にこびりつくのだよ、ばたん。思い出という怪物に対してそのような対処をされたことがある方は今「あいたたた」と言いながら納得中の納得をされていることでしょう。

 

そう。もうすっかりさっぱり忘却すること。あらゆるメディアで発信されている「効率的!」という文字を発見しそうになったらすっと目をそらし、天空、ないし天井に目を向ける。

「わあ、とっても効率がいいですね!」的な音声が聞こえてきそうになったらすっと両手を耳にあててノイズキャンセリング。イヤホンで音楽を聞いていた場合は音量をさっと3段階ほど上げてノイズキャンセリング。そのような弛まぬ努力訓練を積み重ねることによって効率という言葉と概念をこの世から消し去り「え? コ ウ リ ツ? なんですかそれ? はじめて聞きました」と真顔で言えるようになるまで自分を鍛え上げていかなければいけません。

どうしてそれが必要必須なのかというと、俳優は効率なんていう言葉を意識してしまったら渋滞にはまったロケバスの中で発狂して、そのままドアを蹴破って飛び出し、絶叫しながら高速道路を全速力で走り出してしまい、多くの方にご迷惑をかけてしまうからです。

たとえば私の場合「主人公の後ろで赤ちゃんを抱いている」という3秒の出演シーンの為に3時間ロケバスに乗り、現場に到着して衣装に着替え、30分かけてメイクをし、泣きじゃくる赤ちゃんを抱き、「えらいねー元気だねー本番いくよー」とあやしてホンバーン! と助監督の声がかかれば赤ちゃんは「うぐっ」と表面張力ぎりぎりな感じで泣き止み、私の衣装が気になり触ってみたりして自分を抑制「かわいいねー、俺ぐらいかわいいねー」とあやせばキッと私を一瞥。そして、カットーオッケーの声を聞けば表面張力を解除してうわーん! 「ぷ、ぷろやな」と感嘆した数分が経てば本日終了でーすお疲れ様でしたーと見送られ、メイクを落とし、衣装を脱ぎ、またロケバスに揺られて3時間。この3時間プラス3時間で何ができたやろう。ていうか、撮影したあの部屋、都内に似たような部屋あるくない? 都内で撮ればよくなかった? この移動、なに? そんなことを思ってしまえば一巻の終わり。ロケバス蹴破りからの高速道路全力疾走です。俳優失格。向いておりません。

まあ、私は普段12時間睡眠、昼の2時起きなので「この時間で何ができたやろう……」は日常茶飯事、朝飯前って感じでてやんでい。その時間を割けば人生もう一周できるんちゃう? というご指摘を受ければ「そうですよねーえっへへ」と笑ってごまかしてスルー。その惰眠は私の至福で、一日は12時間くらいでええわ、という日々もあってええやん。やらなきゃいけない日々はいつか自ずとやってくるのだもの。やらなくていい今は寝ようや、という私見というか私的前向きなあきらめ活動、らめ活を実行。効率という言葉を意識するタイミングが違うと言いますか、こんな日もあっていいよね精神でロケバスの中から普段は絶対にお目にかかれない朝日なんかを見て、おお、と圧倒されたりしながら「何ができたやろう」を受け止めています。

それにしても私の三半規管はデリケートで、ロケバスの中では本も読めない。執筆もできない。そうなると眠るしかないのだけど、ただ赤ちゃんを数分抱いただけでは3時間寝続ける睡眠力はチャージされておらず、頑張っても1時間ほどで目が覚めてしまうのよね。不覚やわ。眠ることについては並々ならぬ思いを持って取り組む私やのに、鍛錬が足りへん。そんな反省を噛み締めつつ、何気なくスマホを開いたそののち、ロンTがびしょ濡れになるほど涙することになるだなんて、そのときのお涼は知る由もなかった。

トゥービーコンティニュード……


<INFORMATION>
坂口涼太郎さん出演
『ACMA:GAME アクマゲーム』
毎週日曜よる10時半 日本テレビ系で放送中

「この時間で何ができたやろう...」の受け止め方。長すぎるロケバス移動に欠かせないもの【坂口涼太郎エッセイ】_img1
 

日本有数の総合商社・織田グループの御曹司だった織田照朝は、13年前、父・清司を正体不明の男に殺され、全てを失った。犯人の目的は、清司が持っていた1本の古びた鍵……。その鍵を手に入れた者は、集めた鍵の数だけ運気が上がり、99本集めると、この世の全てを手にすることができるといわれる「悪魔の鍵」だ。
殺される直前の父から「悪魔の鍵」を託された照朝は、海外に脱出。以来、世界中を渡り歩いて「悪魔の鍵」の秘密を追っていた。そして──父の無念を晴らすため13年ぶりに日本に戻って来た照朝は、「悪魔の鍵」を狙うライバルたちとの命懸けの頭脳バトル「アクマゲーム」に巻き込まれていく……!
人知を超えた悪魔の力がいざなう、命を賭けた頭脳×心理戦!果たして父を殺した男の正体は!? 負けたら最期…極限の遊戯(デスゲーム)が始まる!!


文・スタイリング/坂口涼太郎
撮影/田上浩一
ヘア&メイク/齊藤琴絵
協力/ヒオカ
構成/坂口彩

「この時間で何ができたやろう...」の受け止め方。長すぎるロケバス移動に欠かせないもの【坂口涼太郎エッセイ】_img2
 

前回記事「「どうしてこんなにいつもお金ないんやろう」夢のお部屋探し、ついに譲れないものにたどり着く【坂口涼太郎エッセイ】」>>