「今考えれば楽観的な人生設計でした」


ここで正敏さん、千鶴さんの状況について改めて伺います。お二人は大企業の総合職と一般職として出会い、千鶴さんは24歳のときに結婚、退職して家庭に入ります。産休・育休の制度が当時目覚ましいスピードで整備されていましたが、端境期でもあり、千鶴さんたちが働いていた老舗企業では社員同士の結婚で女性が家庭に入るのは珍しくなかったそうです。

あまり体が丈夫ではなかった千鶴さんは、持てる体力と気力を子育てに注ぎ、3児の母となります。正敏さんも仕事に打ち込み、円満な家庭生活でした。

しかしリーマンショックを経て早期退職の募集がかかったタイミングで、正敏さんにベンチャー企業からヘッドハンティングの声がかかります。

夫が頑張ってきたことや粘り強い性格が見込まれたと思うと嬉しい反面、せっかく20年近く勤めていた大企業を辞めることに、千鶴さんは不安を覚えたといいます。

「5年生存率は3~4割」子ども3人を抱えて夫ががんに…平穏な日常が消えたとき、妻が後悔したこととは?_img0
 

「年収は多少上がるものの、退職金、企業年金、安定性、そして……妻としては大企業で夫が働いているという誇らしい気持ちがあり、その全部を捨ててしまうことが惜しくて、最初は手放しで転職に賛成することができませんでした。

がんを告知される5年前にマンションを購入していて、ローンは月に12万円。教育費を考えて、郊外のマンションにしていましたが、それでも毎月必死で貯金していました。夫は転職先の仕事に魅力を感じているようでしたが、私は不安から頷くことができず、夫婦喧嘩もありました」

慎重な千鶴さんは、仕事のやりがいを取りたいという正敏さんに完全に賛成するのは難しいようでした。しかし話し合いを経て、最終的には二人で転職を決めます。

 

後から考えると、千鶴さんが「猛烈に後悔した」といういくつかの場面がありました。

正敏さんは転職する数年前に接待の多い部署に配属され、週に3~4回は酒宴やコース料理を食べ、タクシーで帰り、休日はゴルフ、のような生活だったそうです。ご本人はそう負担に感じず、しんどいときも気合でねじ伏せていました。その様子を知りながら、「体に負担がかかっているのでは」「せめて休日は休まないと」などの言葉がけが少なかったことを、千鶴さんは悔んだといいます。正敏さんは頑張り屋で、体力気力があるタイプ。知らずに無理をしていても、自覚に乏しく、そこでブレーキをかけるのは妻の役割だったのに、と。

また転職のタイミングで、正敏さんが新卒時に入っていた生命・がん保険を解約してしまったこともとても後悔したとのこと。マンションの団信があるので、万が一のときはなんとかなるだろうという楽観的な考えにより、保険料を節約してしまいました。

転職後にキャッシュフローの目途が経ったら最適なものに入りなおそうと考えていたという千鶴さん。しかし、資料を取り寄せてそのままになっていたタイミングでがんが発覚してしまったのです。

がんが発覚してすぐに入院することになったものの大部屋があいておらず、広い個室になってしまったという正敏さん。差額ベッド代に健康保険は適用されず、先の見えない1日2万円の出費も千鶴さんにのしかかります。