最初は全然うまくいかない。

まず、「ひとり喋り」が難しい。誰が聞いているという実感もなく、ひとりでマイクに向かって話し続けることの不自然さ。うなづいてくれたり、笑ってくれたり、つまらなそうな顔をしてくれる、参考となるリアクションもないので、何をどう話したら聴いている人に喜んでもらえるのか、さっぱりわからない。

さらに、NHKアナウンサーの時は基本的に組織を代表して放送に出ていたので、あまりに個人的な話はしなくて良い、むしろ役立つ客観的な情報をなるべく端的にわかりやすく表現する、という基礎教育を受けてきた。その影響で、例えばリスナーメッセージに対して、情報性のない自分の個人的感想や日常の出来事を話そうとしても、私の体が抵抗し、喉元が詰まったように、声が出ないのだ。教育の影響ってすごい。

番組スタッフは困った挙句、「住吉さん、この子に話しかけてみてください」と、スタジオのテーブルに猫のぬいぐるみを置いた。子どもかっ。いや、待てよ、そんなにダメということか。ショックだった。

50代の棚おろし「好きのルーツを探る」。私が朝の生ラジオを13年も続ける理由【フリーアナウンサー住吉美紀】_img0
ラジオひとり喋り1年目の私の卓上に置かれた、ネコのぬいぐるみ

それだけではない。朝の帯番組は、精神的にも肉体的にも覚悟が必要だった。月火水木金と曜日が付けば、盆暮正月関係なく、放送がある。基本もらえるお休みは年に1週間だけ。大晦日の生放送で「良いお年を!」とひとりで年を締め、翌日元旦にまた生放送で「明けましておめでとうございます!」とひとりで新年をスタートする経験を経て、初めて実感した。「あ、コンビニ、電車、生ラジオ、だ。私は“社会インフラ”になったのだ」と。

中途半端な惰性では絶対に続かないし、リスナーに聴いてもらえない。体力的にも楽ではないし、毎日マイクの前に座るために、他で犠牲にすることも少なくない。やりたいのか、やりたくないのか、腹を括る必要があるぞと、2年目で気づいた。

それでも私は続けていくと決めた。「ひとり喋り」についてもトライアンドエラーで研究し、朝のラジオで重要なことは何かを日々考えながら、ここまで来た。今振り返ると、8年目に大きな節目があり、さらに9年目で来たコロナ禍以降は毎年、「いろんな生き方がある中で、私は今年も、生ラジオを続けたいのか」と自分に問い直している。その積み重ねの13年目。続けてきて良かった、と心から思う。

では、なぜ、いまだに続けたいのか。13年重ねたからこそ実感している生ラジオの魅力は一体なんなのか。その話は、また壮大な、別のひとっ話があるので、この連載で機会があれば、ラジオ・ストーリー第二弾として書きたく思う。

とにかく、一回きりの人生、限られた時間とエネルギーを、何に使って暮らしていきたいのか棚卸しをして、自らに問い直してみるのは実に有益だと言いたい。フルスイングすると腰がイテテテとなる歳になればなるほど、「怪我してもフルスイングするぞ」という確信を持って振り切りたいから。
 

 


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