自分の部屋で寛げたことなんて1秒もなかった

部屋は脳の拡張だと思っている。その男の部屋は狭かったがものがきちんと片付いており、温かみがあって、いろんなものが混然としているのに調和がとれており、穏やかな気持ちになれて、非常に居心地が良かった。当時私が一人暮らしをしていた狭い部屋は、なんとか素敵にしようとアンティークの家具を置いてみたりラグを敷いてみたりしてもいつも寂しくて、私はただただそこで、やめたくてもやめられなくなっていた過食嘔吐を繰り返していた。摂食障害という病気があることも知らず、食べ吐き依存症状態であるともわからず、そうするしか嫌な自分を忘れる方法がないから毎日食べては吐いていたのだ。コンビニで大量の食料を買い込み、お腹が空気を入れたカエルみたいに変形するまで詰め込み、ユニットバスのバスタブに二重にして広げた45リットルのゴミ袋に吐き続けた。トイレを詰まらせないよう、掃除がしやすいよう、長年の過食嘔吐生活で編み出した方法だった。

「お願い、こっち入ってこないで」過食嘔吐がやめられない私が夫の部屋に転がり込んだ頃のこと【小島慶子】_img0
写真:Shutterstock

アンティーク家具を置いた埃一つない部屋で、寛げたことなんて1秒もなかった。だから一切合切を貸し倉庫にぶち込んで、体一つで男のオンボロマンションの一室に転がり込んだ。脳のお引越しをしたのだ。ひっきりなしに自分を呪い痛めつける脳みそから、人間味のある心地いい脳みその世界へ。その暖かな部屋の奥にはいろんな入り組んだ迷路や開かずの間があったのだけど、それに気づくのはもう少し後のことだ。

ああそれともう一つ、私はその男の骨が好きだった。骨密度が高そうで左右対称で、私の割り箸みたいな体と違って骨組みがしっかりしている。いい骨だなあと、後ろ姿を見て思った。たまたまそのロケではミイラやら古代の骸骨やらにたくさん遭遇したのだが、やはり生きている人間の骨は瑞々しくてしなやかで、関節の動きやまっすぐな伸び具合なんかも良い。骨は死んでも残るものだ。毛は抜けるし、肉は弛むけれど、骨はさほどは変わらない。見えない骨に魅せられて、私は無意識のうちにその男を好もしく思っていた。そういえば父が他界した時にも、火葬場で焼きたての父が窯から出てきた時に「ほほう細身の印象だったが随分と立派な骨をしていたのだな」と感心し、人生で最も父に男っぽさを感じた瞬間だった。骨格という決定的な男女差において、私は相手に異なる性を感じる性質のようである。

骨は生きているうちは目に見えない。死んだ後も残る。そこに惚れるというのはなかなかいい話だと思うのだが、惚れている私の脳みそは、死ねば溶けてしまうくせにやたらと人生を語りたがる。それが、愛というやつをややこしくしているのだろう。

 


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