意思決定できる部分は少なかった


ーいろんな人の期待とか、協力があるがゆえに、もう自分だけで意思決定するっていうこともなかなかできなくなってくるっていうことですね。

藤原:かなり私が意思決定できる部分は少なかったと思いますね。テレビは初めてのことばっかりで、もうお任せするしかない部分もあったので仕方がなかったんです。じゃあ今やり直せって言われても、きっと同じように任せるしかなかったし、私がさばける量でもなかった。1個1個ゆっくり吟味して、この仕事はどうだって確認する時間もない。とにかくさばいてさばいてっていう状態でしたね。

 

ー以前インタビューで「私はブルゾンちえみで失敗してみたかったのかもしれません。でも、大手のプロダクションにいたこともあって、失敗しそうなプロジェクトには挑戦できませんでした」(Futureスペシャルインタビュー藤原史織さん)とおっしゃっていましたが、失敗してみたいって、どういう感覚だったんでしょう。

藤原:箱入り娘が家を飛び出したくなるような感覚かもしれません。もともと私はダメだったとしてもやってみたい、ここぞというタイミングで動きたい、という気持ちが強いタイプだったので、ブルゾンちえみというものが自分だけのものではない大きなプロジェクトになってきたときに、自分のスピード感で進められないことに焦りやもどかしさを感じたんだと思います。私の当時の心境としては、とにかく動いて、キャンプファイヤーにずっと薪をくべ続けてないと、せっかく燃え上がった火が消えてしまいそうで。だから薪をくべるのに待ったがかかると、大切にされすぎている! 挑戦させてほしい! と感じたんでしょうね。難しかったです。

藤原しおりがブルゾンちえみ時代に感じた責任とプレッシャー、異例のブレイクの最中で見えていた景色とは_img0
 

ー常に責任感とプレッシャーと焦りがセットであったんですね。

藤原:夢みたいな売れ方をしたから、夢を見せてあげなきゃいけないっていうプレッシャーがすごくありました。やっぱり一回、みんなが見た火の大きさがあるじゃないですか。でも、人って大きいものから小さくなっていくと、自然と前はこれぐらいだったんだから、もう1回それを作らなきゃと思ってしまうんです。火を絶やさないように、何かしてないとっていうのが、ブルゾンちえみ時代に、心身を費やしていたことだと思いますね。きっとその感覚が、おそらく消耗するという感じなんだと思います。