両腕がない選手の「バタフライ」にハッとした

「障害者リポーター」から「リポーター」へ。三上大進さんが苦悩した東京オリンピック・パラリンピックで、選手から気づかされたこと_img0
 

——パラ選手たちを、「“不利”な状況でスタートして、そこから結果を目指し、どう挑戦していくかを考える専門家」だと感じられたそうですが、どういう姿を見てそういうふうに感じられたんでしょうか。

三上:両腕がないバタフライの選手がいらっしゃいました。初めのうちは「両腕がなくてどうやってバタフライするんだろう?」と思っていたのですが、しなやかな体幹と力強い両脚を使って、体をバネのようして、まるでドラゴンのように泳いでバタフライをしていたんです。「腕がないとバタフライができない」と決めつけていたのは私自身だったと気づかされました。

持って生まれた障害があるから、何かが「ない」ことは当たり前。そこで「ない」ことを嘆くんじゃなくて、「ある」ものをどういうふうに活かして、自分の味方にしていくか——。パラ選手たちは、そこを考える専門家なんだと感じるようになりました。同時に、私自身の障害への考え方も、少しずつ変化していったような気がします。

 


「障害は個性」への「違和感」を経て…


——「障害が色々な個性と出会うチャンスを私にくれた」と書かれていましたが、三上さん自身もハンデを持ったところからのスタートで、得られたものがありましたか。

三上:「大ちゃんの障害は個性だよね」と声をかけていただくことがあるんです。嬉しい一方で、実は、自分の障害は「個性」なのかな? ってずっと疑問というか、違和感があって。確かに、自分にしかない自分らしさを体現するもの、というふうに障害を受け止めることって、とても素敵なことだと思いつつも、私自身は障害が自分を体現するものとか、自分を表現できるもの、自分らしさをつかさどるものでは決してないんじゃないかなってずっと思っていました。それがきっと「違和感」だったのかなと思います。

でも、人生を振り返ってみると、この障害があったからこそNHKのパラリンピックのリポーターをすることができた。そして、パラアスリートが工夫して障害と向き合って、さらに高みを目指している姿を、自分の言葉で表現することが好きだと気づけました。障害が与えてくれた経験で、自分ができることに出会えた。それが自分の個性だったんじゃないかなと思っています。

それと、障害を通して出会えた個性の一つが「美容」だったんですよね。本でも書かせてもらったのですが、障害があって人との違いに苦しんでいたから、もっとより良くしたい、もっと自分を好きになりたいと思って美容を始めたんです。今ではそれこそが、自分の個性なのだと思っています。