全世界の、夫が許せない女たちよ


以前は、こんな自分を責めていた。でも最近は、これも必要なのだと思っている。傍目にはありふれた事件でも、人は致命的な傷を負うことがある。その回復に長い時間がかかるのは決して珍しいことではない。どの程度なら全治何ヵ月とか、決まっているわけではないのだ。身体と同じで、本人の体力や環境によって、治るのに必要な時間は異なるものだ。私は傷の治りが遅い。いろんな理由があるけど、脳内物語作成マシーンがあまりにも仕事が早いという面はある。こいつが黙っていてくれれば、花火を見ている時にロンドンの慶子なんか出てこないだろうし、夫から電話がかかってきても「今花火やってるから、カメラで一緒に見ようよ」って言えたかもしれない。この返答を思いついたのは、たった今である。私の認知の歪み修正機能は、極めて出来が悪いようだ。

花火の翌日から、メンタルと体調がどん底になった。怒りの発作には必ずこれがついてくる。暴力は我が身を傷つける。夫に送った恨みのメッセージが全部おのれに刺さっている。そしてしばらくして気づく。「もしかして、土曜の夜にひとりきりで、彼はちょっと私と話したかったのかも?」息子にご飯を作らなくていい週末の夜、様子見ついでに妻の声を聞きたかったのかもしれない。そうじゃない可能性もあるが、もしそうだった場合はかなり運が悪い。そんなご機嫌の時に限って電話の向こうの妻が花火を見ていて、花火を邪魔したというだけで自分の全人生を否定される羽目になったのだから。

夫に送った「大っ嫌い」のメール…「花火、一緒に見ようよ」と本心を言えない自分に52歳の今も傷つくけれど【小島慶子エッセイ】_img0
写真:Shutterstock

私は、彼に花火を見せてあげたかったのだ。最後までしっかり目に焼き付けてセラピーを終え、あとで夫に動画を送って「とってもきれいだったよ、来年は一緒に見ようね」って言いたかったのだ。ロンドンの慶子の未来を、温かくて穏やかなものにしてやりたかったのだ。あと3分、夫の電話が遅ければ! 幸せは、いつもいいところで逃げていく。

「旦那と別れたくて仕方がない」とか、「夫に死んでほしいと思ったことがある」と語る人は私の周りに一人や二人ではない。世の熟年夫婦で問題のないカップルはないと言ってもいいだろう。だけど「死ぬほど夫が嫌い」と言っている人のうち半分くらいは、たぶん他でもない、その夫とうまくやりたいんじゃないだろうか。だから『愛夫記』を読んで熱い感想をくれるのだろうと思う。うまくやりたいし一緒にいたい、けれどどうしても受け入れ難い何かがあって、うまくやれない。怒りと嫌悪で、苦しくてならない。愛って、そういうところがある。
こんなことを言うと「他人を変えることはできませんが、自分は変われますよ」などと説教をかましてくる輩がいる。「人を許すことができない人間は、哀れです」とかってな。

全世界の、夫が許せない女たちよ。私はあなたの肩を抱いて言おう。許さなくていい。怒っていい。悲しんでいい。憎んでいいし、恨んでいい。あなたにはそうするだけの理由があるのだから。痛いものは痛いのだ。痛みが出るたびに、失われた人生を返せと言いたくなるだろう。そうだそうだ、もっともだ。真剣に生きているから、傷が痛むんだよ。

私は死ぬまで夫がやったことを許さないだろう。そして最近、許さないままで一緒に生きていこうかと思い始めている。許せないことをした人に花火を見せてあげたいと思うなんて、どうかしている。愛はどうかしているのだ。どうせ消えるとわかっている花火を危険を冒して打ち上げるのだって、どうかしている。そうまでしても見たいものが、人にはあるのだろう。

 

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