エッセイスト・小島慶子さんが夫婦関係のあやを綴ります。
結婚してから数年間、私は「嫁プレイ」にハマっていた。家父長制の中に組み込まれたヨメめいたものの真似事を、嬉々としてやっていたのだ。中元歳暮の挨拶状の文末には、夫のフルネームの横に小さく「内」と書いた。保守的で淑やかな、別の自分がいるみたいで面白かった。普段和服を着ない人が、レンタル着物を纏って古都歩きをしているような気分だったのだと思う。
やがて、ヨメごっこなんかしていると、まだ明治憲法とイエ制度が生きていると信じている人々から凄まじく理不尽な目に遭わされることを知った。そこで直ちにプレイをやめ、ヨメを廃業した。夫は私にヨメをやれとは一度も言わなかったし、嫁プレイをやめても態度を変えなかった。でも彼は彼で根深いところで、家父長制の因習にとらわれていたんじゃないかと思う。今は楽になれたようで、本当に良かった。何年もかかって、彼は自分で呪いを解いたのだ。その苦しい道程は私にはわからない。さぞ孤独だっただろうと思う。
嫁プレイをしていた頃の私は、何か長く継続しているものの一部になりたいと願っていた。親戚付き合いの希薄な家で育ち、3代遡ったらもう先祖がどこの誰かもわからない。父の転勤先のオーストラリアで生まれて3歳で日本に来て、多摩丘陵を切り開いたばかりの新興住宅地に住んだ。途中また海外で暮らし、中学からは遠路はるばる都心の私学に通った。いつも宙に浮いているみたいだった。故郷なんてないのに、ふるさとに帰りたかった。だから夫が属していた「ずっと変わらない誇れる何か」のある世界に、いそいそと混ざろうとしたのだ。危なかった。とっくに滅びたイエ制度の甦りに加担してしまうところだった。
そもそも夫と結婚しようと思ったのは、嫁プレイがしたかったからではない。友人たちの結婚式が楽しそうだったからだ。3年も同棲していて生活に変化が欲しかったし、披露宴のプランを練るのは面白そうだった。3年間問題なく一緒に暮らせた相手なら結婚しても大丈夫だろうと思った。彼といると、自分一人でいる時よりもこの世が温かくてマシなところに感じられた。
気分転換で思い立った結婚だったので、非日常性を大いに楽しんだ。夫婦が同じ姓を名乗ることにもワクワクした。1995年に東京の放送局で働き始めた私は、先人たちの尽力のおかげで、仕事で使う姓を選べる環境にあった。周囲には戸籍上の姓に変えた人も、ずっと同じ苗字の人もいた。私は旧姓使用を選んだ。
こないだ、朝の連続ドラマ『虎に翼』の主人公・寅子が再婚相手の苗字に改姓するかどうかで悩んでいた。なぜ夫婦は同姓ではなくてはならないのか。寅子は、改姓するけど裁判官の仕事は旧姓のまま続けたいと上司に申し出て、却下される。寅子の懊悩から70年ほどが経った2024年の地球上で、夫婦が同姓でなくてはならない国は日本だけだ。大日本帝国憲法もイエ制度もとっくに滅んだはずなのに、やっぱりまだその価値観は、社会の中に生きている。この島国で選択的夫婦別姓制度や同性婚やジェンダー平等が実現するまでにあと何年かかるだろう。実現した頃には、年間6センチずつユーラシア大陸に近づいているというハワイ諸島が東海汽船で行ける距離までやってきているかもしれない(8000万年くらいかかるらしい)。
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