ターニングポイント
「君はとても頭がいい。そして目的のために行動する力がある。胆力もある。
その力を、わざと調節して受験に落ちる、なんてくだらないことに使うべきじゃない」
「はあ? せんせーはいいよな、気楽で。オレの気持ちなんてわかるの? 母親の気持ち悪い浮気のせいで監獄みたいな寮に入れられるなんてまっぴらごめんなんだよ」
沈黙が流れた。斗真くんのフォークを持つ手が、白くなっている。
俺は深く、ため息をついた。重い肺の空気を、最後の一息まで吐き出す。彼の悲しみも、やるせなさも、こうやって捨ててしまえたらいいのに。
母親に邪険にされた12歳の少年にできる反抗の手段などほとんどない。絶望的な戦いだ。相手がまったくこちらを見ていないのだから。
「これはお母さまには内緒ですが……斗真くん、じつは私も、星雲中の卒業生なんですよ」
斗真くんは、え? と目を丸くしてこちらを見た。
「詳しくは下らない話なので省きますが。私もまた、自分の意志と関係なく入れられたんです。入学したら、周りのレベルが高くて、ついていくのがやっと。それまで勉強ができるとうぬぼれていましたから、プライドは粉々です。それですっかりへそを曲げて、ちっとも勉強しなくなりました。高等部にあがるときはお情けで、条件付きという体たらくです」
「……それでどうなったの?」
斗真くんは、心配そうに眉をひそめた。
「ふてくされていた私は、両親に反発して、ますます自分の殻に引きこもりました。しかしここからが人生の意外なところなんですが、助っ人で入った高校の野球部が面白くて、部活だけは結構真面目に顔を出すようになりました。
そうしたら、できたんです」
「え? 何が?」
「友達ですよ。家族以外の、味方ができました。笑うとこじゃありませんよ。仲間の威力はすごいんです。少しずつ生きやすくなって、ずいぶんと助けられました。勇気100倍といったところです」
「ぶッ、なにそれ……似合わないよ、せんせー。熱血?」
笑うとこじゃない、と言っておいたのに、斗真くんは笑った。それはとてもかわいい笑顔だった。
「人生の意外性の話です。家族は選べない。そのことを嘆いて、不貞腐れても、幸せから遠ざかるだけだ。君の言う通り、残念ながらあなたの母親はおかしい。そんな彼女に反抗してあの家に居続けて、幸せですか?
カウンセラーなら母親との対話を勧めるのかもしれない。倫理的にはそれが正しいでしょう。でも、敢えて私はほかの選択肢を提案します。あの家から脱出してみるという考えもあると思う。新しい場所で、仲間をつくって、力を養ってはどうでしょうか。世の中を力強く歩いていける力を。親なんて気にならないくらいの」
「……そんな簡単に仲間なんてできるかよ。それに寮なんて、もしかして監獄みたいなとこかも」
「え? あの家以上に子どもに良くない監獄がありますか?」
斗真くんの頬が、諦めたように少し緩んだ。それから斜め上を見て、思案している。
「なのでいっそ星雲中に受かって出ていくっていうのはどうでしょう。君ならどこへだって行ける。特待生になれば、恩を着せられることもない。あんな茶番につきあって、君ほどの逸材が、才能を無駄にするつもりですか?」
「特待生! はは、せんせー、いくらなんでも買いかぶりすぎ」
「斗真くん、私もこの道のプロなんですよ。何百人の受験生を見てきたと? 試してみますか? 君のその頭脳」
斗真くんは、真剣な面持ちで、こちらを見た。
「たしかに、それもアリっちゃありかも。意地になってたけど、こんなことしてもオレ、なんも得しないってわかってきた。おまけに平均点を取り続けるのも飽きてきたとこなんだ。
……じゃあさ、最後まで一緒にいてくれる?」
私は右手を差し出した。
「無論。私は、あなたの仲間なんですよ、最初から」
すっと背筋を伸ばした彼は、それから真摯な目で、右手を差し出す。
「じゃあやってみようかな、先生」
握りしめた手に、2人の熱がこもっていく。
Fin.
次回予告
夫の転勤に意気揚々とついていった妻。ところが……?
イラスト/Semo
編集/山本理沙
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