日常にこそきらめきを見出す。俳優・坂口涼太郎さんが、日々のあれこれを綴るエッセイ連載です。今回のエッセイは「神戸市西区学園西町の不変〈前編〉」です。この夏を捧げた舞台の最終公演で訪れたのは、子ども時代の思い出が詰まった街の近く。お涼さんも思わず当時にタイムスリップ!
おわった。
「打ち上げる準備」にも書いたとおり、代役として急遽参加することになった木ノ下歌舞伎「三人吉三廓初買」がおわった。
あと残り1回でおわりやと思うと途端に体が安心というか慢心して、千穐楽当日を迎えると「ほんまにあと1回しかできません。HPがぎりぎり残り1回分、いや、正直ちょっと足りないかもしれません、すみません」みたいな状態になっていて、それはなぜかというと、三重公演のあと延泊して鳥羽水族館に念願のラッコのメイちゃんとキラちゃんに会いに行ったり、瀞峡で昼と夜に二度の川下りをして夢の中にいるような起きているのに眠っているような不思議な凪状態を味わったり、「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」の最後に辿り着くこの世の果てみたいな七里御浜で虹まで見れて、心も体もリフレッシュ、これでふるさと兵庫公演も満ち満ちた状態でお届けできるで! と気合いが入った旅の最後に滋賀の信楽でずっと欲しかった白い信楽焼のたぬきを買いに行ったら、ビー玉ぐらいの小さな白いたぬきが売っていて、かわいすぎてどうしてもいま共演しているみんなと親友たちにお贈りしたくなり、合わせて22匹のたぬきを連れて帰り、ポチ袋に入れて大入り袋ならぬ「大ありがとう入り袋」にしてお渡しするためにみんなにお手紙を書いていたら、2時間同じ姿勢でいることに気づき、立ちあがろうとすると腰が曲がったまま伸びなくなり、いや、これ元に戻らなかったら「大ありがとう」とか言うてる場合ちゃうねんけど、たぬき渡してる場合ちゃうねんけど、とホテルの部屋で冷や汗をかきながらなんとかお風呂に入り、ベッドの上で血眼でストレッチをして、気絶するように眠りについて目を覚ませば、背中がコンクリートを注入したかのように固まっていて、物理的に関節という関節に実際にオイルを差してみようかと真剣に考えている自分にはっとし、満身創痍とはこの状態のことですか? と辞書をひきたくなるような有り様。半泣きで千穐楽を迎えることになった私をお許しください。
でも不思議と本番が始まればお坊吉三と自害するシーンの「未練はねぇよ」という台詞が「死にたくない、でもお坊と出会えて、一緒に死ねて嬉しい」というお嬢吉三の感情と、「もうこの台詞を言うのも最後か、これでおわれるんやな、やり切った、未練ないでほんま、でもおわりたくないな、楽しかったな、さみしいな、ありがとうな」という中の人の感情がダブルミーニングしたりして、わたしたちを祝福してくれているようなお客様からの反応も相まってきっとアドレナリンが出血大サービスで放出していて、背中にコンクリが入っていることなんて大忘却。動いているというより動かされているような感じで、ひとつひとつの言葉や動きにお別れを告げて盛大に散った。
ふるさと兵庫に帰ってきたわけやし、この機会に10数年ぶりに私が育った街、神戸市西区学園西町にある学園都市に帰ってみようかなと思っていたところ、千穐楽に幼馴染のおりんちゃんが夫のおみねくんと観に来てくれて、しかもまだ学園都市に住んでいて、育休中やから一緒に散歩しようやと申し出てくれて、翌日、ふるさと学園都市の駅に降り立ったお涼なのでした。
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