日常にこそきらめきを見出す。俳優・坂口涼太郎さんが、日々のあれこれを綴るエッセイ連載です。今回のエッセイは「チャーリー・ブラウン2024AW」です。

「それはほんまにおしゃれなのか?」1着390円の古着を買っていた私が指輪ひとつに3万円の価値を見出すようになるまで【坂口涼太郎エッセイ】_img0
 

シアーの服がしんどい。
エアリーでかわいいと思っていろんな色を買ったけど、透け透けやから風を通して涼しそうと思いきや汗を吸わなくてめちゃくちゃ暑いし、かといって気温が低いときには一切防寒になっていなくてめちゃくちゃ寒い。お風呂で垢すりのときに使う化繊のタオルを全身に纏っているようでざらざらちくちく。少し肌をこすれば血が出ていたりしていて、思ったんと違いすぎる。

「おしゃれは我慢」というけれど、果たして我慢してまで着る服って、ほんまにおしゃれなのか?

自分の着心地が悪いのに、これは世間のどこかの部類にとっておしゃれとされているので我慢して着ましょう、はい、わかりました、つらい、しんどい、となるのって、ほんまのおしゃれか?

おしゃれの真意とはもっと自発的、自己実現的なものなのではないのんか。どうやねん。
着ているとちょっとした嫌がらせを受けているような気になるシアーとの出会いによって、私にとってのおしゃれとは何なのかということをもう一度問い直される2024AWなのです。
 

 


20代前半までの私にとってのおしゃれとは「唯一無二」であること。誰とも被らない、誰も持っていないような服を探しに中学生のときは神戸元町の高架下にある古着屋へ、高校生になってからは下北沢や原宿へ出向き、唯一無二を探しに行った。

どこかの民族が着ていたであろう金のステッチが入った赤いワンピースにカラータイツを穿いて、足もとは金色のバレエシューズで、「100メートル先で見たらピグモンかと思った」と称されたルックや。

おばあちゃんから譲り受けた肩パッドの入った黒地に金と銀の糸が織り込まれたジャケットに、ナイロンで細くプリーツが入った黒のワイドパンツ、金の金具がついた帯ベルト、金のチェーンベルトをネックレスにして、「M.C.ハマーと美川憲一さんのちょうど中間」と評価されたコーディネートなど、派手、奇抜、独創的、そんな言葉を胸に古着屋のハンガーラックにかかっている服を右から左へひとつずつ、1秒間に5つのハンガーをずらすぐらいのスピードで端から端まで見る。

私にしか見つけられない掘り出し物を文字通り掘り出してやろうという意気込みで日々服を探していたのだけれど、それはなぜかというと、なるべく多くのアイテムを獲得しようと思っていたからで、毎日違うコーディネートをできればしたかった。


だって、テレビをつければ同じ人が毎回違うすてきな服を着ていて、それがとっても楽しかったし、羨ましかった。

「プラダを着た悪魔」や「セックス・アンド・ザ・シティ」の登場人物たちも、毎回違う服を着ていたし、おしゃれとは色んな服を持っていて、会うたびに完璧なコーディネートをして、毎回異なる雰囲気や印象を抱かせるものなのだと思っていた。

だから質より量に重きを置き、サンキューマートで1着390円の古着や、下北沢で1着700円の服をごっそり買って、丈や袖を切ったり、ワッペンや缶バッジをつけて、同じコーディネートをなるべくしないように心がけたりしていた。

 
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