「ちょっと抑えめで」「あんまり動かないで」と言われるばかりの日々


もちろん画面に映っていなくてもお芝居は相手役の方の心を動かすためにやるもの。

その場を楽しい雰囲気にしてほしいという演出があれば全力で楽しそうな空気をつくるし、怖い雰囲気にしてほしいというのであれば、全力で恐ろしい空気をつくる。みんなでその場の空気をつくり、そのときに切り取られる相手役の方がお芝居に没入できるようにするのが仕事。一生懸命やっていればきっと誰かが見てくれていて、また一緒にお仕事をしたいと思ってくれる。そう信じて若干火事を起こしている私は画面に映っていなくても、どれだけぼやけていても、2カ月間続くであろう連続ドラマの現場で日々自分なりの最善を尽くしてお芝居していた。

 

でも、演出部の方に「ちょっと目立つので抑えめで」や「ちょっと声小さめでお願いします」や「あんまり動かないでください」と言われるばかりで、1カ月経った頃には、だんだん自分がセットの中の置き物のようになった気になってきて、「あの壺と私との違いってなんやろう。自ら移動できるかどうかの違いかな」などと思う始末。乗りに乗っていた脂はどこへやら、牛乳を吸ったぐずぐずのふきんのようにしぼみ、どれだけ火を着けようと思っても着火しないずぶ濡れの置き物になっていった。

そんな置き物はだんだん腐敗してゆき、なんだかなにもかもがどうでもよくなり、ドラマの撮影のない日に稼いだバイト代を叩いて、食べたいものを自分の体積以上の量摂取するようになり、飲みたいものを体の水分量が200%になるまで飲むようになり、眠ることもなく遊んだあと、気絶するように倒れ、数日目を覚まさないような生活をするようになった。
「自暴自棄」という言葉どおりに、もはやなにが楽しいのかわからなくなり、遊んでいるのか暴れているのか判別がつかないまま、一日でどれだけひどい目に遭えるかという体感型悲劇のヒロイン活動、”悲ロ活4DX”を突き詰め、故意なのか無意識なのか自分を痛めつけることでしか漲りを発散することができず、自分の体も心も時間も細胞も記憶も棄てて棄てて棄てまくる。そんな自虐プレイにせっせと身をやつしていたら、気がつけばびしょびしょの置き物は原型をなくして穴だらけのぼろ雑巾のようになっていて、もう使い道がないね、ゴミ箱へぽーいと放り投げたくなった。

かろうじてゴミ箱のふちに当たって床に放り出されたぼろ雑巾は「このままじゃいけない!」と思い直し、書店へ逃げ込んだ。

手当たり次第にぼろ雑巾を復活させるためのことばを探し、見つけては手に取り、摂取していった。

「これ私じゃなくてもいいのでは」自分は大物という驕りから転落、私が自虐のかたまりとなった日々のこと【坂口涼太郎エッセイ】_img0
 

ことばじゃないとだめだった。

私は自虐プレイに注いでいた漲りをことばを貪ることに費やすようになり、一日中ことばことばことばにダイブしてことばまみれになりながら、ことばに浸かり、ことばに洗浄され、ことばで漂白していった。

〈後編に続く……!〉
 


<INFORMATION>
坂口涼太郎さん出演
映画「アンダーニンジャ」
2025年1月24日(金)公開予定

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忍者は世界中に忍び、現代いまでも暗躍している。その数、約20万人――。
誰も観たことが無い“現代忍者エンターテインメント” が幕を開ける!!

太平洋戦争終結後、日本へ進駐したGHQが最初に命じたのは「忍者」組織の解体だった。それにより全ての忍者は消滅したかに見えたが、彼らは世界中のあらゆる機関に潜伏し、現代でも暗躍していた。その数は約20万人と言われている。忍者組織「NIN」に所属する末端忍者・雲隠九郎(下忍)。暇を持て余していた彼はある日、ある重大な “忍務” を言い渡される。それは戦後70年以上に渡り地下に潜り続けている、ある組織の動きを調べること。その名は――「アンダーニンジャ」。忍術、知略、そして最新テクノロジー。すべてを駆使した、かつてない戦いが今、始まる――‼

原作:花沢健吾「アンダーニンジャ」(講談社「ヤングマガジン」連載)
脚本・監督:福田雄一
プロデューサー:若松央樹、大澤恵、松橋真三、鈴木大造
 


文・スタイリング/坂口涼太郎
撮影/田上浩一
ヘア&メイク/齊藤琴絵
協力/ヒオカ
構成/坂口彩
 

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