奇妙な打ち明け話
「浅田さん、こんにちは。お待ちしてましたよ~」
午後一番、薫さんが玄関先に出て迎えたのは浅田さん。僕の父が存命でこの医院にいた頃からの患者さんだ。
浅田さんは最近、物忘れが多くなり、予約の日にちや時間を忘れてしまう。薫さんが診察券とは別に見やすいように紙に書いてお財布に入れたり、シニア携帯に電話を入れたりもしていたけれど、やっぱりうっかりしてしまう。
それは構わないのだけど、浅田さんはおひとり暮らしでそれが心配だ。だから浅田さんが予約を入れた数日後にひょっこりとやってくると、多少お待たせしてもそのタイミングで治療するようにしていた。
とにかく元気な顔を見せてくれればいい。
「はい、こんにちは~。諒太おぼっちゃん、今日も男前ね。康太先生にますます似てきて」
「ははは、いやですねえ~。最近では自分でも鏡をみてちょっとぎょっとするんですよ」
浅田さんは70歳。小柄で、いつもにこにこしている。ご自身の歯は年齢にしてはずいぶん残っているけれど、この数年歯ブラシがいきとどかなくなり、義歯の装具のあたりに小さな虫歯ができてしまう。3ヵ月に1度、チェックに来てもらって、治療が必要なところは早期に治している。そのたびに元気な顔が見られてほっとしていた。予約日と時間は、彼女のペースなのでとてもアバウトだけれども。
「浅田さん、まず歯磨き一緒にしましょうか」
薫さんが歯ブラシを手渡して、鏡を見ながら浅田さんと歯磨きをしてくれる。家で再現できるように、と、彼女が提案してくれてそれ以来口腔の状態が明らかに良くなった。
窓からは穏やかな陽の光が差し込んでいる。
世間は師走。しかしどうも実感がない。この病院にいると、毎日、穏やかに時が過ぎていく。――あの「事故」当時からすれば信じ難いほどに。
「先生、お願いします。浅田さん、椅子、倒しますね」
ブラッシング指導を終えて、薫さんが僕を呼んだ。診察台にちょこんと座る浅田さんの横に移動する。
浅田さんの口元を照らして、薫さんと定位置についた。
「浅田さん、入れ歯、お掃除しました。ちょっとはめてみましょう、かみ合わせをチェックします」
5年前に作った部分義歯は、歯茎が下がったぶん、少しずれている。ふうむ。
「浅田さん、入れ歯のかみ合わせがずれてきました。調整することもできなくはないんですが、歯に負担がかかってしまうし、作り直したほうがいいと思います。もちろん保険対象ですから、お金はさほどかかりませんし、今度で大丈夫です」
「いいですよ、いいですよ先生。入れ歯はこれで十分。来年までもてばいいんです」
「来年まで?」
僕と薫さんは、思わず手を止めて、浅田さんを見た。
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