超高齢社会を生きる私たちが望むのは、ただ長生きするのではなく、“死ぬまで元気”でいること。なるべく人の手を借りず、最期まで自立した生活を送りたい。そのために、今すぐできることは何か。NY在住の老年医学専門医、山田悠史先生の新刊『最高の老後 「死ぬまで元気」を実現する5つのM』(6月24日発売)から、その答えをひとつご紹介します。

皆さんは、「人生会議」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

人生会議とは、「もしもの時のために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取り組みのこと」です(参考文献1)。 

米国では「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」と呼ばれており、日本でも過去には同じ呼び方をされていましたが、なかなか浸透せず、「人生会議」という愛称が付けられたという経緯があります。

 


5割以上の人が「話し合ったことはない」


厚生労働省が過去に行った調査(参考文献2)では、アドバンス・ケア・プランニングについて、「知らない」と答えた人が75.5%にも上っていました。日本では、その浸透が不十分であることは明らかです。

人はいつ事故に遭い、あるいは重い病気になるかを予測することは難しく、しかもその時に意識がなくなってしまうことも少なくありません。年齢に関わらず、そのような話し合いを事前にしておくという人生会議の持つ意義の理解は決して難しくないでしょう。

人生会議の意義は、この会議が行われることによって、人生の最期に、本人の代わりとなる家族や友人、医療者が、本人のために本人の望む治療の選択ができ、よりよいケア、より本人の意思に沿ったケアが医療機関で提供されることにつながるだろうというものです。

 

しかし、厚生労働省の公表するデータ(参考文献2)によれば、人生の最終段階における医療について家族等や医療介護関係者との話し合いについて、「詳しく話し合っている」と答えた人は、全体の2.7%にとどまり、60歳以上に限定しても3.0%にとどまります。

また、「話し合ったことはない」が55.1%に上っています。言葉の認識の低さだけでなく、実際問題そういった会話は持たれることが少ない現状もわかります。

確かに、歴史的には、医師が患者のために父権的な役割を担い、医師が治療方針を全て決定していくというプロセスが取られていた時もありました(今でもそういう医療機関がまったくないとは言い切れませんが)。しかし、今ではそうあるべきではないと考えられています。

このような変化の背景には、先にも紹介したように、医師の考えと患者の考えにはずれがある、また重い病気を患った場合に、患者が何を望んでいるかを医師が把握していない(参考文献3)といった現実があります 。

また、医師は患者が自分より高齢であるなどの理由で、患者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を患者が実際に感じているよりも低く見積もる傾向があり、治療が負担にならないよう、治療方針を必要以上に消極的にしてしまう可能性があると指摘する研究報告もあります(参考文献4)

こういったことから、患者の意見、価値観が治療方針にしっかりと反映されるよう、双方の同意のもとで治療方針を決定するプロセスが重んじられるようになっています。

 
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